セーレン・キェルケゴール 36

1813年5月5日 - 1855年11月11日デンマークの哲学者、思想家。今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている。 キェルケゴールは当時とても影響力が強かったゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ...-ウィキペディア

苦難の道は永くもあれば、また暗くもある。次第に明るくなるような道は別の道である

「日記」より

絶望は死にいたる病である。自己の裡なるこの病は、永遠に死ぬことであり、死ぬべくして死ねないことである。それは死を死ぬことである

「死にいたる病」より

    難しい - 銘無き石碑

絶望であることを知らない絶望。言いかえれば、人が自己を、しかも永遠的な自己を持っているということについての絶望的な無知

「死にいたる病」より

裏切り者の中で最も危険なる裏切り者は何かといえば、
すべての人間が己自身の内部に隠しているところのものである。

「愛の生命と摂理」より

欺かれるものは欺かれないものよりも賢く、
欺く者は欺かれない者よりもよい。

「人生行路の諸段階」より

混濁と錯乱と衒気にみちていて、老人は想像の幻影を持っている

「死にいたる病」より
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結婚というのは、人々が愛に、ある宗教的表現を与えることと、
愛を宗教的義務に高めることのほか、何を意味するつもりなのか

「人生行路の諸段階」より

罪とは、存在する代わりに創作し、
ただ空虚の中でのみ善と真とを問題にし、
実在的にはそれであろうと努力しないことである。

「死にいたる病」より

罪は消極的なものではなく、積極的なものである。

「死にいたる病」より

精神の闘いでは、独裁者のほうが世帯者よりもずっと危険をおかし得る。

「人生行路の諸段階」より

思弁が終わる、まさにそのところで信仰が始まる。

「恐怖と戦慄」より
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人間は思想を隠すためではなく、
思想を持っていないことを隠すために語ることを覚えたもののように思われる。

「あれか、これか」より

決意は人間の力・勇気・知恵ではない。それは宗教的な出発である

「人生行路の諸段階」より

人間とは、一つの総合
無限と有限、時間的なものと永遠なもの、自由と必然である

「死にいたる病」より

私は二つの顔を持つ双面神だ。
一面の顔で笑い、他面の顔で泣く

「断片」より

人間は精神である。精神とは何であるか。精神とは自己である。自己とは自己自身に関わる一つの関係である

「死にいたる病」より

女をお前と同等にまでするな。というのは、その形式は抵抗である

「あれか、これか」より

愛はすべてを信じ、しかも欺かれない、愛はすべてを望み、しかも決して滅びない。愛は自己の利益を求めない

「愛の生命と摂理」より

世俗の知恵は、愛が人間との間の関係であるというが、
キリストの教えによれば、「愛は人間と神との間の関係であるという。というのは、神が愛の媒介であるからである

「愛の生命と摂理」より

本来、お世辞というものは、女の身にぴったりと当てはまる衣装である。

「追憶の哲理」より

女性は自体であり、男性は反省である

「誘惑者の日記」より

思い出しか欲しないのは、淫しているのである。

著書「反復」の中の言葉

祈りは神を変えず、祈る者を変える。

人生の初期において、最大の危険はリスクをとらないことである。

人はたいてい、それを楽しむ年でなくなってから
急いで息せき切ってそれを追い求める。