アンドレ・モーロワ 20

1885年7月26日 - 1967年10月9日
アンドレ・モロワ(André Maurois、1885年7月26日 ノルマンディー地方エルブーフ Elbeuf - 1967年10月9日 ヌイイ=シュル=セーヌ)はフランスの小説家、伝記作者、評論家。本名はエミール・サロモン・ヴィレルム・エルゾグ(Émile Salomon Wilhelm Herzog)で、ユダヤ系フランス人である。...-ウィキペディア

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夫婦というものは、それを構成する二人の人間のうち、
低いほうの水準で生活するものである

「愛情と慣習」より

家庭は集団的エゴイズムである。単に愛情のみならず、防衛であり、
外部に対する同盟であるようなエゴイズムに堕落する

「愛情と慣習」より

恋する人は、自分も恋に生きているからこそ恋愛劇を好む

「愛情と慣習」より

友情の価値である重厚な信頼は、恋情の場合では、
自分の愛する者を失うまいとする絶え間ない危機感によって置換される

「愛情と慣習」より

女性の友情は、恋愛が僅かの役目を果たしていない社会では容易である

「愛情と慣習」より

望みどおりの幸福を得られなかった過去を否定して自分のために、それを変えていこうという希望こそ、甦生した人間の持つ魅力なのである

「愛の風土」より
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人生にとって健康は目的ではない。
病気はわれわれの欲望に、われわれの不安に、はっきりした限界をもうけるのだから。

「愛の風土」より

伝記は断じて小説化になってはならないが、つねに小説的であるべきである。

「アランと小説的なもの」より

洒落っ気があるだけでは十分ではない。
持ちすぎないようにするのが肝心だ。

「会話について」より

老年は男女間の友情に最も適した年代である。というのは、彼らはその年代になると、男や女であることをやめてしまうからである

「結婚と友情と幸福」より

幸福な結婚というのは、婚約の時から死ぬ時まで決して退屈しない永い会話のようなものである

「幸福な結婚」より
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世渡りのためには、誰も武装しているし、またそれが必要なのだが、
固く結ばれた夫婦の間では鎖で身を固めることを要しない

「幸福な結婚」より

レストランで食事を一緒にしている夫婦たちの様子を見給え。彼らが押し黙っている時間の長さが夫婦生活の長さに比例しがちである

「生活の技術」より

女という女が、
ともに同じ形肉服する社会では一律性を拒むことこそいちばん大きな独創である。

「一つの生活技術」より

学者とは、その観察と経験から、現象相互の一定の関係について、
いろいろな仮定を引き出す人のことである。

「一つの生活技術」より

仕事は退屈と悪事と貧乏とを遠ざける。

「一つの生活技術」より

団体の仕事に従事する者や、ボスとなる人に使える者は、虚栄心を持ってはいけない。
その人自身の意志が強すぎて、自分の計画がボスの計画とぶつかると、
ボスの命令を自分の好む方法へ曲解しようとするからである。

「一つの生活技術」より

絵画が視覚を、音楽が聴覚を魅するように、料理は味覚を虜にする。

「一つの生活技術」より

人間は恋愛においては、小さな忠実よりも大きな不謹慎の方が許しやすいものだ

「友情と恋愛」より

女は、自分の色恋沙汰が世間に広まらないことを望む。
そのくせ、自分が愛されているということを
みんなに知られたいと望む。