宮沢賢治 11

1896年8月27日 - 1933年9月21日
日本の詩人、童話作家。 仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行い、創作作品中に登場する架空の理想郷に、岩手をモチーフとしてイーハトーブ(Ihatov、イーハトヴあるいはイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。生前彼の作品はほとんど一般には知られず無名に近かったが...-ウィキペディア

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正しく強く生きるとは、銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

「農民芸術概論」より

新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある

「農民芸術概論」より

アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

〔雨ニモマケズ〕
一文

悲しみは力に欲りは慈しみに、いかりは智慧にみちびかれるべし

すべてがわたくしの中の
みんなであるように
みんなのおのおののなかの
すべてですから

『春と修羅』

誠に私共は逃れて静に自己内界の摩訶不思議な作用、
又同じく内界の月や林や星や水やを楽しむ事ができたらこんな好い事はありません。

大正七年三月十四日(二十二歳)
保坂嘉内宛 書簡49
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ぼくはきっとできると思うなぜならぼくらがそれおいまかんがえているから

世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない。
自我の意識は個人から集団、社会、宇宙としだいに進化する。

まずもろともに、宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう


    真に幸せを実感する時、死ぬことが無性に怖くなる。この世から立ち去ることが嫌で嫌で仕方なくなる。 - 銘無き石碑

いのちあるものは
おたがいにたすけあわずして生きていくことはできません。
それをお説教ではなく、童話のなかでいきいきと語りかけてくれたのが賢治です。

賢治は小説が書けなくて、詩や童話を書いたのではない。
彼は自己の世界観の必然から詩と童話を書いたのである。

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