ルキウス・アンナエウス・セネカ 81
紀元前1年 - 65年4月
ユリウス・クラウディウス朝時代(紀元前27年 - 紀元後68年)のローマ帝国の政治家、哲学者、詩人。
父親の大セネカ(マルクス・アンナエウス・セネカ)と区別するため小セネカ(Seneca minor)とも呼ばれる。第5代ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師としても知られ、また治世初期にはブレーンとして支えた...-ウィキペディア
われらは常に命の短きを嘆きながら、
あたかも命の尽くる時期なごときふるまう
「生の短きについて」より
よき生まれとは何か。生来、徳の備われる人間なり
「書簡集」より
未来を気づかう心は悲惨なり
「書簡集」より
我々の計画というのは、目標が定かでないから失敗に終わるのだ。どの港へ向かうのかを知らぬ者にとっては、いかなる風も順風たり得ない。
我々の計画というのは、目標が定かでないから失敗に終わるのだ。
どの港へ向かうのかを知らぬ者にとっては、いかなる風も順風たり得ない。
理性は公平な判断を下すことを望むが
怒りは下した判断が公平に見えることを望む
ノバトゥスの兄上よ。
あなたは私に、一体どうすれば怒りを静められるかについて書くように求めた。
あらゆる感情の中で、最も気違いじみたこの感情を、特にあなたが恐れるのも無理からぬことと思う。
あなたは私に、一体どうすれば怒りを静められるかについて書くように求めた。
あらゆる感情の中で、最も気違いじみたこの感情を、特にあなたが恐れるのも無理からぬことと思う。
くだらない人間どもを、宴会では避けるように心がけるがよい。
酒が入ると、彼らの勝手な気持ちはますます緩んでくる。
しらふでも恥知らずな彼らなのだ。
怒りを抱かないために。
怒りは、それを起こさせた相手の過失よりも悪いことがよくある。
怒りは悪徳である。
「おれは過ちを犯していない」とか「おれは何もしていない」とか
我々の憤りの多くはそのような文句で始まる。
こんな文句を真に受けるべきではない。
われわれは誰ひとりとして罪のない者はない、ということを
自分自身に言い聞かせるがよい。
自分自身に言い聞かせるがよい。
恐怖の数のほうが危険の数より常に多い。
過去はもはや関係がなく、未来はまだ来ぬ・・・
- あ
人間は常に時間が足りないとこぼしながら、
まるで時間が無限にあるかのように、振舞う。
人間が一人でもおれば、必ず親切にしてやる機会がある。
何であれ伝え方や行い方次第で、
その事柄の価値そのものが大きく変わってくる。
これは人の世話をする場合によく当てはまる。
不幸や逆境に苦しんでいる人々にとって、最後の救いになり慰めになるのは希望である
塩野七生 『ローマ人の物語34 迷走する帝国 [下]』(新潮文庫,2008)207p
ぐずぐずしている間に、人生は一気に過ぎ去っていく
人生は物語のようなものだ
重要なのはどんなに長いかということではなく、
どんなに良いかということだ
人生は尻尾のようなものである
いかに長いかではなく
いかに良いかが大切なのである
困難だからやろうとしないのではない。やろうとしないから困難なのだ。
人生とは戯曲に似ている。
長さではなく、芝居の質が問題なのだ。
He who is brave is free.
勇者は自由である。
Wealth is the slave of a wise man. The master of a fool.
富は賢者の僕(しもべ)であり、愚者の主人である。
Life is long, if you know how to use it.
人生は長い。それを如何に使うかを知っているなら。
We learn not in the school, but in life.
我々は学校にではなく、人生に学ぶ。
Leisure without books is death, and burial of a man alive.