ヘレン・ケラー 65

1880年6月27日 - 1968年6月1日アメリカ合衆国の教育家、社会福祉活動家、著作家である。 視覚と聴覚の重複障害者(盲ろう者)でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くした。...-ウィキペディア

顔を太陽に向けていれば影を見ることはできない

「自叙伝」より

ことばを高尚にするのは思想である。

「日記」より

祖先のうちで奴隷でなかったものもいなかったし、、
奴隷の祖先のうちで王でなかったものもいなかった

「自叙伝」より

「やろう」と思う強い意思は、これまで行ってきた行動の回数と、
その時の決意の強さによって決まります。

悲しみと苦痛は、やがて「人のために尽くす心」
という美しい花を咲かせる土壌だと考えましょう。

苦境に立って万事休したときには、できることがあれば、それをやる。
できることがなければ、あとは忘れるだけだ。

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陽のあたる場所ばかり見ていては、影は見えません。

私たちの手の中には、数知れない小さなものが毎日落ちてきます。
それは小さい好機です。神様は私たちが利用するのも悪用するのも
自由なように、これを残して行かれるのです。

疑いの心から出発しなければ深く根ざした信念は得られません。
軽々しくよく考えもしないで信じる人は大した信念を持っていません。

山の頂上に立つ喜びは、もしそこへ至るまでに超えるべき
暗い谷間が一つもなければ、半減されるでしょう。

手助けせずにはおられない人は、親切をする度にうれしくてたまらず、
そのうれしさが生きがいになっているのです。

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いくら人間の眼が素晴らしくても、手がなければ何にもなりません。
何と「手」はすばらしいのでしょう!
仕事をする「手」を褒めたたえましょう。

一番大事なことは、どんな環境が必要かということではなく、
どんな考えで毎日生活しているか、
どんな理想を追い求めているか、ということなのです。

どんな人にとっても、何か特別な楽しみにふける時間がぜひ必要です

自分の弱点をしっかり見つめてその姿を十分に知っておきましょう。
でも弱点に支配されては駄目です。

幸せは自己欲求を満足させることではなく、
価値ある目的に忠実に取り組むことを通して得られるのである。


    凡人に非凡であれと理想を突き付けるのは酷である。凡人は社会に貢献するだけで充分に立派なのです。 - 銘無き石碑

    普通が立派だ。 - 銘無き石碑

    自分の欲求を満たせないなら、価値ある目的に奉仕したって、幸せと思えない。自己欺瞞だ。 - 銘無き石碑

    幸せはひとそれぞれ違っていい。 - 銘無き石碑

    七十にして矩をこえず - 銘無き石碑

わたしは偉大な仕事を成し遂げたいが、偉大であるかのごとくに
小さな仕事を成し遂げるのがわたしの主な役割である。
この世は、英雄たちの剛力だけでなく、個々の実直な
労働者のささやかな力の総体によって動いているのだ。

一人ではできることが限られているが、大勢だと多くのことができる。

わたしにとって唯一の暗闇とは、
無知と無感覚状態におかれた闇夜である。

身勝手さと不平が、理性をゆがめて曇らせる。
しかし性の快楽が、
頭脳を明晰にしてくれる。

福田和彦『痛快!性愛学』(集英社インターナショナル,2001)P182

    君はおかしいよ - 銘無き石碑

    ヘレンケラーは下品なことは言わないはずだ。 - 銘無き石碑

    性の快楽を得られなくなった男は認知症にかかりやすい。 - 銘無き石碑

障害は「不便」です。
しかし、「不幸」ではありません。

私たちにとって敵とはためらいです。
自分でこんな人間だと思ってしまえば、
それだけの人間にしかなれないのです。

知ってるつもり?! 最終回スペシャル 「ラストメッセージ イエス・キリスト」
2002/03/24(日)放送 日本テレビ系列より。

いつも太陽を見ていれば
影は目に入らない。

文章を書く時の最大の苦労は、その混乱した思い、中途半端な感情や考えを
「理性のことば」で表現することにあると思う。

偉大な作家でさえも、膨大なことばを自由自在に使いこなせるようになるには、
何年もかけてこの種の文章修行を積まなくてはならないのである。