ヘレン・ケラー 65

1880年6月27日 - 1968年6月1日アメリカ合衆国の教育家、社会福祉活動家、著作家である。 視覚と聴覚の重複障害者(盲ろう者)でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くした。...-ウィキペディア

そして、善の力は悪の力よりも強いのだということを忘れないように。

主教

日の光や友情を受け入れるように、ただ足元に置かれた宝物を自然に受け入れただけなのだ。

本について

精神と形式が完全に調和し、
真理と美が古き時代の上に花を咲かせる。
まさに完璧な美を目にした

チャールズ・タウンゼント・コープランド氏の
講義

今までのどの教師よりも、
文学のオリジナルな新鮮さと力強さを、
目の前に再生できる力を持っている。

チャールズ・タウンゼント・コープランド氏について

気まぐれな空想によって形と色を与えられて、
「精神の空」を飛び交う思いは真に美しい。

たとえ正義が踏みにじられることがあっても、
悪が勝利することは決してない

奇跡の人
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人と握手する時、その手は無言のうちにさまざまことを伝えてくれる。
手の感触で、無礼な人だとわかることもある。

奇跡の人

ヘレン、普遍的な宗教はひとつしかない。
それは、「愛」という名の宗教だ。

主教

「教育の流れ」には、石ころがいっぱいころがっており、
至る所でさざ波が立ち、水しぶきがあがっている。
水面には、花が映るかと思えば、茂みが映り、ふわふわと空に浮かぶ雲も映し出される。

奇跡の人

教師であれば、生徒を教室へ連れて行くことはできるだろう。
けれども、必ずしも勉強させられるわけではない。

奇跡の人

私の中の才能、ひらめき、喜び
どれを取っても、先生の愛情が目覚めさせてくれたものばかりなのである。

奇跡の人
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生徒が自ら進んで勉強するためには、
勉強中も休憩中も「自由」は自分の手の中にある、
と感じなければならない。

奇跡の人

はじめて「愛」の意味について訊いた朝のことを覚えている。
まだ、語彙が少ない時だった。

奇跡の人

「愛というのは、いま太陽が顔を出す前に空を覆っていた雲のようなものよ」

サリバン先生

「雲にさわることはできないでしょう?
それでも雨が降ってくるのはわかるし、暑い日には、花も乾いた大地も雨を喜んでいるのがわかるでしょう?それと愛は同じなのよ。」

サリバン先生

美しいものに感じる喜びのうち、どれだけが生まれつきの感受性で、
どれだけが先生の影響を受けたのか区別をすることはできない。
先生の存在は、私とは切り離せない。

奇跡の人

先生は、子供の頭脳は浅い小川のようなものだと考えていた。

奇跡の人

人の唇からもれる微笑みを、自分の幸せと感じられる人間に私はなりたい。

奇跡の人

しかしやがて、希望が微笑みとともにやって来て、つぶやく。
「喜びは、自分を忘れることにあるのだ」と。

奇跡の人

「愛も手で触れることはできません。
だけど、愛が注がれる時のやさしさを感じることはできます。
愛があるから、喜びが湧いてくるし、遊びたい気持ちも起きるのよ」

サリバン先生

私は大自然の美しさの意味を説明したり、定義したりできないが、それは、
愛や、宗教や善の場合も同じではないだろうか。
どれもかけがえがなく、説明できないものばかりだ。

奇跡の人

「知識は力なり」という。
しかし私は、知識とは幸福だと思う。
深く、広い知識を手に入れれば、正しい目的と誤った目的を区別でき、
崇高なことと低俗なことを識別できるからだ。

奇跡の人

聖書は、私に深い信念を与え、励ましてくれる。
「見えるものは束の間のものであり、見えないものこそ永遠なのだ」と。

奇跡の人

試練により思考が研ぎ澄まされ、人生をより切実に理解できるようになった。

今や私の思考は内省的になり、
目に見えないものを見ることができるようになった。