増渕幸男 5

1945年生まれ。東北大学教授。

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人は皆さまざまな教育をとおして、
自分の内に隠されているこうした可能性を現実のものとしながら、
今ある状態の自分になってきたのです。
それゆえ、各人に固有の自己を形成していく過程を一般に成長と呼び、
それがスムーズになれるように援助するさまざまな作用を教育と言うのです。

AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P68

私たちの生活の全領域にわたって意味を構成している諸事象、
それらを望ましい成長に見合うように整えて提供することが教育の指名なのです。

AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P68

学ぶが自動詞からも知られるように、
人間として生き、人間らしく生きるために主体的に学ぶのであり、
他方、教えるが他動詞であることからは、
それがこの主体的な学びを支えるための働きかけとわかります。

AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P70

教育的方法の善し悪しとして生き、人間らしく生きようと自ら意欲することがなければ、
教えることも有効性をもたず、
それゆえ教育的価値の探求は何よりも学ぶことの意味を探究しなければならない

AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P71

よい教育とは本来、学びの努力が自らの内面性の充足、
生命の拡充に結びつくような自己実現を可能にする教育であり、
自らで価値を判断する能力を育てる教育のことです。

AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P71