天本英世 15

1926年1月2日 - 2003年3月23日
日本の俳優。一時期、「あまもと えいせい」の読みを用いていたこともある。福岡県若松市(現:北九州市若松区)出身。本籍は佐賀県鳥栖市。身長180cm、体重65kg。...-ウィキペディア

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人間、大事なことは、何もしないことですよ。
ぶらっと歩いたり、ボーっとしたり。
そういうのって日本人、しなくなってるでしょう。


    いえいえ、ボーとした人はいっぱいいますよ。特に、中高年の男性とかが。 - 銘無き石碑

毎朝、死について考えています。


    ジョブズも同じこと言ってたな。 - 銘無き石碑

    貴方も毎日死について考えるのですか? - なつみかん

生きていたら、また会いましょう。

スペイン人になること。

テレビで、「健康の秘訣は何ですか?」と質問されて

スペイン人は個性が強いが、同時に他人も認めていて非常に寛容だ。
日本人にはそうした寛容さもなければ、人間に対して無関心だ。
電車に乗っている人を見てご覧なさい。異様ですよ。


    違う…。多くの人は寛大な訳じゃなく、興味、感心すら持ちたくないだけ。 - Aaaaaaaaa

「こんなボケた国(日本)に調子をあわせていたらボケた人になってしまう」
と思った。
スペイン人と日本人の違いはなんだと思う?
それは、スペイン人は明日も生きているとは思っていないところだよ。
「アスタ・マニャーナ」といえば、
日本人は怠けもののスペイン人の使う言葉だと思っているだろう。
「アスタ・マニャーナ。今日は終わり、また明日」。
なんて怠け者だと日本人は思うが、実はこの後に「シ・ディオス・キエレ」と続く。
「アスタ・マニャーナ、シ・ディオス・キエレ」。これは、
「もしも明日も私が生きていたらお目にかかりましょう」という意味。
ここに、昨日も明日もなく、今日しかないんだという考えがある。
だから今日を精いっぱい楽しんで生きようとする。
日本人は10年も、何年先も、自分は生きていると思っている。
それはたんに生きているだけではないか。
戦争がないに越したことはないが、
平和が怖いのは平和ボケしてしまうことだよ。


    日本と言う国には日本人はもう数少ない - 銘無き石碑
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日本人は自分はなぜ生きるのかという問いかけをしない。
それは哲学がないからだ。

自分が生まれ、一生の間にしたいことをする。それだけだ。

何のために生きているのかと尋ねられたらどう答えますか?
という質問に

国民年金など払ったことがない。

文部省は僕らが小さい頃と同じだ。
ばかばかしいことの再生産で、君が代を歌えって言っている。

昭和20年、久留米の野砲隊に入隊した。
で、何をやらされたかといえば、
来る日も来る日も野原に穴を掘らされた。
毎日つるはしで穴を掘り、気を失うと水をぶっかけられ、
ぐずぐずしていると木刀で殴られた。

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早熟だったのは作家の飯干晃一だった。
飯干は、「あと数ヶ月で日本は負ける」と言っていて、
そのとおりになった。
彼はクラスいちの立派な『非国民』だったよ。

旧制高校の昔話

東大法学部に入ったものの、
学問に対する興味はすっかりなくなってしまったんだ。
東大法学部に入っても、
後は官庁に入って、出世主義しかなくて、おもしろくない。
これまでにも、
「東大法学部に入ったのになぜ俳優になった?」
とたずねられたが、
これに答えるには一晩かかるよ。
ようするに、僕にとっては、
俳優になるというのは乞食になるのと同じ意味だったんだ。
かといって、それを怖いとも寂しいとも思わなかったよ。

女はめんどくさい。

テレビ業界は狂っている。