面接

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1971年日米繊維交渉。日本の対米黒字が膨らみ、政治問題に発展。前任の宮沢喜一通産相時代に、交渉は暗礁に乗り上げていた。 9月に渡米し、田中さんはニクソン政権のジョン・コナリー財務長官と向かい合う。繊維産業が多いテキサス州出身の大変な論客。大きな体で机をドンドンたたいて貿易不均衡を責め、「政府による思い切った規制を」と迫った

確かに繊維貿易は日本が黒字になっておる。しかし、貿易は多国間でバランスをとる話だ。そういう自由貿易論の理屈は、あなた方から教えてもらったんだ

ところが帰国直後、米国から「対敵通商法を発動し、一方的な輸入制限もあり得る」との情報が舞い込んだ
田中角栄 9

日本の政治家、建築士。衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第6...-ウィキペディア

1973年10月。第4次中東戦争が勃発。11月、米国のキッシンジャー国務長官が緊急来日した。田中角栄首相と会い、「アラブ寄りの政策をとるな。少なくとも中立でいてくれ」と求めた。

日本は油を中東に依存している。もしこの油を米国が肩代わりしてくれるのなら、あなたの意思に従いましょう

もちろん無理な注文なので、キッシンジャーはうなずけない。「そうでしょう。本件に関しては、日本はアラブ寄りということでいく」ということになった。
田中角栄 9

日本の政治家、建築士。衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第6...-ウィキペディア

1973年日ソ首脳会談。クレムリン宮殿でブレジネフ書記長が大きなシベリア周辺の地図を示しながら「ここには有望な資源があって……」と説明した。日本にお金とリスクを取ってもらい、資源開発をしたい意図が見えた。

書記長自らご説明いただいて痛み入ります。しかし、無資源国日本の首相は、シベリアのどこに何があるかは承知しております

そして「とくに関心があるのはチュメニ油田の開発です」などと伝え、「しかし、進めるには、北方四島の問題を解決しなければ」と返還交渉を求めた。10月10日の日ソ共同声明は「大戦の時からの未解決の諸問題を解決」して平和条約を結ぶ意義を確認。ただ、具体的に「領土」には触れていない。 田中さんが「諸問題には北方領土も含まれているか」と食い下がった。そのときブレジネフは「ダー(その通り)」。これが歴史的発言ということになった。 しかし後々に先方は「議事録にも残っていない」と言い張った。
田中角栄 9

日本の政治家、建築士。衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第6...-ウィキペディア

釣るのではない 選んでもらう

プロフェッショナル 仕事の流儀「漁の神様、誉れの一本釣り~マグロ漁師・山崎倉」(NHKオンデマンド,2010)8:26
山崎倉 3

職業:マグロ漁師

「第7章●IT革命が変える私たちの生き方」
山一證券で管理職に就いていたある人物の再就職活動
あなたは、当社に入って何ができますか?

私は、部長ならできます

中谷厳『痛快!経済学2』(集英社インターナショナル,2004)193p
中谷巌 5

1942年1月22日生まれ。日本の経済学者。専門は、マクロ経済学。

「おでこにツヤがない人間はダメだ」
って斎藤一人さんが言ってたけど、オレもそう思う。
だからってお前、オデコに油塗るなよ。

高村俊隆 10

有限会社GSC 代表取締役社長 高村俊隆

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