1973年日ソ首脳会談。クレムリン宮殿でブレジネフ書記長が大きなシベリア周辺の地図を示しながら「ここには有望な資源があって……」と説明した。日本にお金とリスクを取ってもらい、資源開発をしたい意図が見えた。
書記長自らご説明いただいて痛み入ります。しかし、無資源国日本の首相は、シベリアのどこに何があるかは承知しております
そして「とくに関心があるのはチュメニ油田の開発です」などと伝え、「しかし、進めるには、北方四島の問題を解決しなければ」と返還交渉を求めた。10月10日の日ソ共同声明は「大戦の時からの未解決の諸問題を解決」して平和条約を結ぶ意義を確認。ただ、具体的に「領土」には触れていない。 田中さんが「諸問題には北方領土も含まれているか」と食い下がった。そのときブレジネフは「ダー(その通り)」。これが歴史的発言ということになった。 しかし後々に先方は「議事録にも残っていない」と言い張った。
田中角栄