俳優
生き物は生き物食って生きてる。
死ぬ気になれなきゃ食うしかない。どうせ食うなら旨い方がいい
1回はダメだったけど、今はこうして一緒にいるしね。
3年やって飯が食えなければ、深追いするな
1923年(大正12年)3月17日 - 2007年(平成19年)3月17日 東...
“おもしろいかもしれない、続けていくかもしれないと思った”
それは、実は“芝居を”というだけじゃなくて、
“生きることを”だったんじゃないかなあって思うんです。
で、続けていこうと考えた途端、「劇団を辞めたくなったんですね」
1950年10月12日生まれの俳優
“甘い! オマエは甘い!”
“ここの空気も甘い! ダメだ! 外へ出て勉強しなきゃ!”
北大路欣也(18歳で源義経を演じていたとき)にセットの角で言った言葉。その後、北大路は早稲田大学第二文学部へ入学した。
1907年9月17日 - 1994年9月8日 日本の俳優、随筆家。 TBS系列...
…少年隊、仮面ライダー!
1937年横浜市生まれ、茅ヶ崎市育ちの俳優 慶應義塾大学卒業後の60年、映画『...
『やんないよ』って言うのは簡単。でもそれは“ゼロ”ですよ。
やれば少なくともゼロではない。
マイナスになる可能性もあるけど、ゼロからは動き出すでしょ?
オーディションだってそうですよ。
1962年2月25日生まれの俳優
あいつらは気持ち悪い・・・
あいつらは人の人生を駄目にしている
アメリカ合衆国出身の映画俳優
あらゆるところへ行ってどれだけ土下座をしたことか。
“やめてください。どれだけ頭を地べたにこすりつけられても納得しませんよ”
と言われるて“ごもっともです”って、それでももう1回土下座するわけさ。
1937年横浜市生まれ、茅ヶ崎市育ちの俳優 慶應義塾大学卒業後の60年、映画『...
いつくしみ深きむがさまへ
待てば海路の日和 といいますが、長い間、待ちました。
まずはいいお手紙です。私も目がひらきました。
無我がくさってると、私も、だんだんくさります。
元気に生きましょう。私も、あと残りの少ないいのちです。
笑って、頑張りましょう。
ユダヤの格言の中に、
人間はないてばかりでは 生きられない、
また笑ってばかりでも 生きられぬ
と云うのがあります。
交互にやればいいでしょう。
太陽にだってそれがあります。
ましてや人間にだって。
三月十日久弥
1913年5月4日 - 2009年11月10日 日本の俳優、 コメディアン。
いつまでも挑発し続けろ。
だが、挑発に人間性を忘れてはならない。
フランスの作曲家、作詞家、歌手、映画監督、俳優
いつも内側で爆発したい、突き抜けたいという欲求があるんですよ。
いまだって若い子が自殺して、周囲は原因を追及するけど、
ぼんやりと“死にたいな~”と思っている子はいっぱいいて。
ポンッときっかけを与えられたら、はずみで死んじゃうケースもいっぱいいるんですよ。
僕もたぶんそのひとりだったと思うんです。
1950年10月12日生まれの俳優
お皿の上に乗っかっている物を可哀想がっても仕方ない。おいしく頂く事が供養だ。
こだわりは持たなければいけないものだと思っていた。今思えば、哲学や美学のような
自分ならではのものがないといけないという思い込みであわてて作った、
中身が空っぽのハリボテみたいなこだわりだったのだけど。
1965年9月5日 - 日本の俳優
ころんで痛い目に遇って、ばかをみるのは自分一人。
俳優、シンガー・ソングライター、司会者。1969年3月24日、深夜の第三京浜で激...
すべての虚栄的な人間は良き俳優である。
ドイツの哲学者、古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られ...-ウィキペディア
そこで初めて“俺はずっと芝居をやっていくのかもしれない”と思いました。
それが今日まで続いている。
もしそうじゃなかったら、僕はどこかで死んでたでしょう。
僕は結構“死にたがる子”でしてね。
1950年10月12日生まれの俳優
だいたいの結果が導き出せても、
それでも突き進んでいかなきゃならないときもある。それをどうすりゃいいんだろうね…
1951年2月1日生まれの歌手、俳優
でもね、一時は僕、自分に飽きちゃってたんです。
俳優・風間杜夫を“つまんねえな、この役者”って思っちゃうようになってたんですよ。
1949年4月26日 - 日本の俳優
どんな役もつまらないと思うことはないんです。
23年間やっていて、完璧にできたと思ったことがいまだにないので。
演じることは相変わらず、難しいから楽しいっていう感じですね。
1965年9月5日 - 日本の俳優
ぼくは、いかに演技すべきかということを知らない。
ぼくにできることは、いかに熱演しないかということだけだ
1901年5月7日 - 1961年5月13日 アメリカ合衆国モンタナ州ヘレナ出身...
まだまだこれから風間杜夫で遊ぼうという気持ちになっていて。
1949年4月26日 - 日本の俳優
もうアナーキーに言えばですよ、脚本ができたら、
そこに書かれてあることを言えばいいんです。そういう仕事ですから(笑)。
1948年東京都生まれの俳優 高校卒業後、就職した会社を辞め、 19歳のとき...