フランソワ・ヴィヨン 11

?1431年 - 1463年
15世紀フランスの詩人である。中世最大の詩人とも、最初の近代詩人ともいわれる。...-ウィキペディア

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必要な人間に悪事をさせ、飢えは狼を森から追い出す。

「遺言詩集」より

光陰は矢のごとく、取り返すすべもなく、風にさらわれるように去ってしまう

「遺言詩集」より

皇帝は 斯の如くに訊問した、
『何故お前は 海賊をしてゐるのか』と。
ディオメデスは 答へて言つた、
『何故俺を 海賊とお前は呼ぶのか。
海上を 小さな舟で乗り廻し
掠奪を仕事とするのを 見たからか。
お前のやうに武装することが出来たら、
お前のやうに皇帝になつてもゐたらう。

『ヴィヨン全詩集』(鈴木信太郎訳 岩波文庫版57頁)

さはれさはれ 去年(こぞ)の雪 いまは何處(いずこ)。

『ヴィヨン全詩集』
(鈴木信太郎訳 岩波文庫版73頁)
人の世の「諸行無常」を詠んだ詩句として、
この上をいくものはありますまい。

法王であれ、王であれ、女王の
御腹に生まれた王子であれ、
死しては 冷たい骸となって 埋められ、
その御代は 人手に渡る 世の習ひ、
況してや貧しいレンヌの行商、この俺が
なんで死なずに居られよう。さうだとも、
神佛も照覧あれ。人生の快樂を盡しさへしたら
定業の死を厭ひはしない。

『ヴィヨン全詩集』(鈴木信太郎訳 岩波文庫版)

この墓所の納骨所に 堆く積上げられた
これらの髑髏(どくろ)を つくづくと眺めてゐると、
少くとも 會計檢査院の諸公でなければ、
請願審査院の御歴々の委員であつたか、
さうでなければ、みな全て擔ぎ屋だつた。
さふいふことは、誰についても 俺は言い得る、
何故ならば、司教であらうと、提燈持ちであらうとも、
俺には 一向 髑髏の區別が附きかねるから。

『ヴィヨン全詩集』(鈴木信太郎訳 岩波文庫版187頁)
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また その髑髏の或るものは、生きてゐた時、
他のものに 鞠躬如(きくきゅうじょ)として頭を下げ、
幾つかの髑髏は ほかの幾つかを支配してゐて、
怖れられ また奉仕されてゐたのであるが、
今ここに 萬事 一切 終了して、
ごたごたの一塊の山と積まれてゐるのが見られる。
領主権も もう彼等からは奪はれて、
聖職者とも先生とも 誰一人として呼ばれてゐない。

『ヴィヨン全詩集』(鈴木信太郎訳 岩波文庫版188頁)

王侯も死すべきさだめを免れず、
一切の衆生も同じ、よし人は
この宿命を 怒るとも また憾むとも
風のまにまに 翩翻と。

『ヴィヨン全詩集』(鈴木信太郎訳・岩波文庫版79頁)

正義の大道は 貧困の中に宿らず、
この理を 噛みしめて味はひ給へ。

『ヴィヨン全詩集』(鈴木信太郎訳・岩波文庫版58頁)

    素敵なことば - 銘無き石碑
Oh, where is last year’s snow?

ああ、昨年(ふるとし)の雪、今やどこへ。

『過ぎ去りし時代の御婦人たちの挽歌(バラード)』より。鈴木信太郎氏の「去年(こぞ)の雪、いま何処(いずこ)」(『ヴィヨン全詩集』岩波文庫)の名訳で知られる句。変転極まりなき現代社会の無常(無情)に思いをはせつつ、私訳を試みました。
I know everything except myself.

おれは全てを知っている、おれ自身を別にして。

自分を知ることは、最も恐ろしいことなのかもしれない。

    君は自分の実力以上のことを成し遂げようとする。そうしないと自尊心が満たされないから。親の期待にこたえられないと親に愛された心地がしないのだろう。親の期待と自分への期待が一体化して自分で自分を愛せないのだろう。そんなに頭が良くないのに特別に有能であることを望んだら、一生涯願いは叶わないよ。 - 銘無き石碑
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