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「なぜ」その演奏者が、その音楽を、そのように演奏するのかを、
その音が語ってくれない演奏は、もはや「表現」とは言えない。
AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P148
一人の子供がうつむいて無言でいるとき、その内部に、
歌にならない、いや、歌になれない歌が流れていないと、誰が言えるだろうか。
AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P150
そういうもの:コピーできるもの
自己というものがそういうものでなく、どこにどのようにして在るのかわからないからこそ、
人はなにかの手掛かりを求め、それを探し、確かめようとするのではないか。
AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P150
「探し」と「確かめ」こそが、あるとき、なにかを創り出す営みにつながるのではないか。
しかも、そうしてやっと探し出されたものは、絶えず変貌する。
変動し、散在し、潜在化して、わからなくなってしまう。
AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P150
芸術とは、
わからないことからわからないことへ架けられた欲動(生きようとする力の現れ)の軌跡
であると言えるかもしれない。
AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P150
感動とはなにかに接して自分が変化することだ。
AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P150
芸術とは本来、他者の言葉だ。
傘の先に身を移してそれを聴き、それが根差している言語体系(パラダイム)と
その言葉の関係を、傘の先の語り手の実在を通して感得できなければ、
芸術はわかったとは言えない。
AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P150
わからない自分もまた、絶えず変動し続ける自己の生態であり、私の欲動の影なのだ。
AERA Mook 13『教育学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P150