エピクロス 22

紀元前341年 - 紀元前270年
快楽主義などで知られる古代ギリシアのヘレニズム期の哲学者。 エピクロス派の始祖である。 現実の煩わしさから解放された状態を「快」として、人生をその追求のみに費やすことを主張した。後世、エピキュリアン=快楽主義者という意味に転化してしまうが、エピクロス自身は肉体的な快楽とは異なる精神的快楽を重視しており、肉体的快楽をむしろ...-ウィキペディア

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死は存在せず。なんとなれば、われらの存在する限り死の存在はなく、死の存在あるとき、われらの存在することをやめるからなり

「書簡」より

自殺のためのもっともらしき理屈を持ち合わせる人はつまらぬ人間なり

「書簡」より

魂は肉体より分離されるや煙のごとく消え去る

「書簡」より

貧乏にあまんずるは栄誉ある財産なり

「断片」より

最高の善は快楽、最大の悪は苦痛なり。

「目的について」より

自己の持てるものを十分に己にふさわしき富と考えざるものは、世界の主となるとも不幸なり

「断片」より
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正しき人は最も平静なる心境にあるも、不正なる人は極度の混乱に満ち溢れる。

「主要教説」より

多くの人々は富を得るや、もろもろの悪からのがるることをせず、より大いなるもろもろの悪へ転向す

「断片」より

法は聖者のために制定さる。もっともそれは、彼らが不正を犯さぬためにあらず、
不正をこうむらざるためなり。

「断片」より

快こそ第一の生得的な善であり、快が浄福なる生の始めであり、終わりなり

「メノイケウス宛書簡」より

正義のもたらす最大の実りは心の平静なり。

「断片」より
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自然に強制を加えてはならず。むしろ、これに従うべきなり。

「断片」より

友とともにせざる晩餐はライオンもしくは狼の生活の如し。

「断片」より

全生涯の最大の幸福を得るために知恵のみ獲得をするものにて、
友情の所有こそ最大のものである

「主要教説」より

正しい人は、最も平静な心境にある、これに反し、不正な人は極度の動揺に満ちている。

獣にふさわしい仕事からは、
たくさんの富がつみかさねられるが、
みじめな生活が結果する。

不正を犯しながら発覚されずにいることはむづかしい、
そして、
発覚されないことについての保証を得ることは不可能である。

不正を犯しながら発覚されずにいることはむづかしい、
そして、
発覚されないことについての保証を得ることは不可能である。

われわれは、旅の途上にあるかぎりは、これまでの道よりも、
これからの道をより善いものとするように、努むべきである。
そして、旅の終わりに達したときには、
いつもとかわらず明朗快活であるべきである。

われわれを助けてくれるものは、友人の援助そのものというよりは、
友人の援助があるという確信である。

もし神が悪を妨げる意思はあっても力が無いなら全能ではない。
力はあるが意思が無いなら邪神である。力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。
力も意思もないなら、なぜ神と呼べるのだろう

賢い者は政治に走らない。