ジャン・アンリ・ファーブル 7

1823年12月21日 - 1915年10月11日
フランスの博物学者であり、また教科書作家、学校教師、詩人としても業績を遺した。昆虫の行動研究の先駆者であり、研究成果をまとめた『昆虫記』で有名である。同時に作曲活動をし、プロヴァンス語文芸復興の詩人としても知られる。...-ウィキペディア

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一分間さえ休む暇のないときほど幸せなことはない。働くこと、これだけが生き甲斐である

「昆虫記」より

    こう思えるのがすごい - まさっきー

    こう思えるのがすごい - まさっきー

    暇であることを「退屈」と恐怖する人間の典型だと思う。
    いや、なにも批難しているわけじゃないですよ。
    その性質のお陰で彼は偉業を成し遂げたのだし、
    そもそも何事も一長一短だから。 - 銘無き石碑

人間というものは、進歩に進歩を重ねた挙げ句の果てに、
文明となづけられるものの行きすぎのために自滅して斃れててしまう日が来るように思われる。

「昆虫記」より

(ダーウィンの進化論は)法則としては壮大なものであるけれど、
事実を前にしては空気しか入っていないガラスびんみたいなものだ。

生物の進化論を「机上の空論」と考えるファーブルは、自らの観察結果をもとに糾弾した。
自然選択という単純な「賭け」に、生物(種)が運命をまかせるのだとしたら、多くの種がこんなに複雑なくらしをしながら生き延びていられるのだろうか、という疑問が湧いてくる。ファーブルは、特に昆虫においては、種はもともと固有の姿や能力をもっており、行動を司る本能もまた先祖代々変わることのないものだと考えていた。

学者というのは文句を言いたがるものなんだよ。
わたしはこの目で昆虫を見ているんだからね
反対する人は自分で観察してみればいいのだ。
きっとわたしと同じ結果が得られることだろう。

ファーブルの昆虫記は、「文章がやさしすぎる」等と言う理由で専門家たちから批判を受けました。
それらにたいしてファーブルが返した言葉です。

死は終わりではない。さらに高貴な生への入り口である。

ファーブルの墓石に彫られている言葉です。

人生のつらい試練は、どこかで説明がつくはずだ

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