小林よしのり
マニラ湾の夕焼けは見事なものです。
こうしてぼんやりと黄昏時の海を眺めていますと、
どうしてわれわれは憎しみ合い、矛を交えなくてはならないかと、
そぞろ懐疑的な気持ちになります。
兄上、姉上、そして和歌子ちゃんにくれぐれもよろしく。
マニラ湾の夕焼けは見事なものです。
かうしてぼんやりと黄昏時の海を眺めてゐますと、
どうしてわれわれは憎しみ合ひ、矛を交へなくてはならないかと、
そゞろ懐疑的な気持ちになります。
兄上、姉上、そして和歌子ちゃんにくれぐれもよろしく。
陸軍少尉。二十一歳。
幸光は靖国で二十四歳を迎える事にしました。
幸光は靖国で二十四歳を迎へる事にしました。
海軍少佐。二十三歳。
靖国で待っています。
きつと来てくださるでしょうね。
本日恩賜のお酒を戴き感激の極みです。
敵がすぐ前に来ました。
わたしがやらなければ父様母様が死んでしまう。
否日本国が大変な事になる。
幸光は誰にも負けずきっとやります。
靖国で待つてゐます。
きつと来てくださるでせうね。
本日恩賜のお酒を戴き感激の極みです。
敵がすぐ前に来ました。
わたしがやらなければ父様母様が死んでしまふ。
否日本国が大変な事になる。
幸光は誰にも負けずきつとやります。
海軍少佐。二十三歳。
母:今日はなぜ少ししか食べないの?
仁科:おかずが沢山あるのでね、それにぼくも大分大きくなったんだから、
そう何時までも大食いぢゃないんだよ
悲壮なる祖国の姿を眺めつつ余は行く。全青春を三十日間にこめて、人生駆け足に入る。
悲壮なる祖国の姿を眺めつゝ余は行く。全青春を三十日間にこめて、人生駆け足に入る。
旧海軍少尉 神風特攻隊第二七生隊 昭和20年4月1日沖縄にて特攻戦死。享年23歳...
もはや何ものも無だ。何も考えるまい。純一無雑で突入しよう。
もはや何ものも無だ。何も考へるまい。純一無雑で突入しやう。
海軍大尉。二十四歳。
俺は、俺の人生は、人間が歩み得る最も美しい道の一つを歩んできたと信じてゐる。
俺は、俺の人生は、人間が歩み得る最も美しい道の一つを歩んできたと信じている。
海軍大尉。二十三歳。
隣の室では酒を飲んで騒いでいるが、それもまたよし。
俺は死するまで静かな気持でいたい。
人間は死するまで精進しつづけるべきだ。
まして大和魂を代表するわれわれ特攻隊員である。
その名に恥じない行動を最後まで堅持したい。
隣の室では酒を飲んで騒いでゐるが、それもまたよし。
俺は死するまで静かな気持でゐたい。
人間は死するまで精進しつゞけるべきだ。
まして大和魂を代表するわれわれ特攻隊員である。
その名に恥ぢない行動を最後まで堅持したい。
海軍大尉。二十三歳。
語れば万言を費しても
また語らざれば
一言の要もなし
俺はその後者を選んだ
南の風が
誘うように吹いてくる
語れば万言を費しても
また語らざれば
一言の要もなし
俺はその後者を選んだ
南の風が
誘うやうに吹いてくる
海軍中尉。二十五歳。
一〇時、一寸の間をみて最後の手紙を走り書きし、
八重桜の花を二つ三つ封入して荷を整備す。
もう何も思い残す事はない。
数刻後には見事体当たりして行くのである。
一〇時、一寸の間をみて最後の手紙を走り書きし、
八重桜の花を二つ三つ封入して荷を整備す。
もう何も思ひ残す事はない。
数刻後には見事体当たりして行くのである。
神風特攻隊員 海軍少佐 昭和20年4月14日特攻戦死。享年25歳。専修大學出身。
兄は常に九段の社の櫻の木の枝に咲いて居る。
裏の元屋敷の櫻の木にも咲きますよ。
差からが咲いたら兄だと思って見て下さい。
兄は常に九段の社の櫻の木の枝に咲いて居る。
裏の元屋敷の櫻の木にも咲きますよ。
差からが咲いたら兄だと思つて見て下さい。
海軍少尉。十九歳。
イモウト ヤスコチャン
ヤスコチャン トツコウタイノニイサンハ シラナイダラウ。
ニイサンモ ヤスコチヤンハ シラナイヨ。
マイニチ クウシユウデ コワイダラウ。ニイサンガ カタキヲ ウツテヤルカラ。
デカイボカンニ タイアタリスルヨ。
ソノトキハ フミコチヤント ゴウチンゴウチンヲウタツテ ニイサンヲヨロコバセテヨ。
神風特攻隊員 昭和20年5月4日南西諸島方面にて特攻戦死。享年20歳。
では今日はこれで終り。
陸軍大尉。三十六歳。
長い間御世話になり何一つ喜んで頂く様なことも致しませず相済まぬと思って居ります。
私の死はせめてもの恩返しと思って下さい。
長い間御世話になり何一つ喜んで頂く様なことも致しませず相済まぬと思つて居ります。
私の死はせめてもの恩返しと思つて下さい。
海軍大尉。二十二歳。
敏子にお逢いになった由、皆何を感じられたか知りませんが、
心から私が愛した、たった一人の可愛い女性です。純な人です。
私の一部と思って何時までも交際して下さい。葬儀には是非呼んで下さい。
敏子にお逢ひになった由、皆何を感じられたか知りませんが、
心から私が愛した、たつた一人の可愛い女性です。純な人です。
私の一部と思つて何時までも交際して下さい。葬儀には是非呼んで下さい。
海軍大尉。二十二歳。
実戦は素晴らしいよ。
映画では見られない敵機が三十機位来る。
ばらばらと爆弾を落とし、あつと思つたがあたらなかつた。
帰つてからの土産話にするから余り書くまい。
実践は素晴らしいよ。
映画では見られない敵機が三十機位来る。
ばらばらと爆弾を落とし、あつと思ったがあたらなかった。
帰ってからの土産話にするから余り書くまい。
海軍少尉。三十六歳。
私に逢い度くば空を見よ、飛行機を見よ、軍艦旗を見よ。私は其処に生きている。
私に逢ひ度くば空を見よ、飛行機を見よ、軍艦旗を見よ。私は其処に生きてゐる。
海軍少佐。二十四歳。
一、私は敏子を離別します。
一、敏子に再婚させて下さい。
一、私に成仏させて下さい。
陸軍憲兵准尉。四十一歳。
清子は山野の家を代表した女の勇士です。
陸軍看護師。十九歳。
いろいろ書きたいことはありますが、
とにかく男として死に場所を得たことをほめてやって下さい。
海軍大尉。二十三歳。
くにへのほうこう(奉公)は、いちにんまえします。五にんまえするつもりです。
くにへのほうこう(奉公)は、いちにんまへします。五にんまへするつもりです。
陸軍上等兵。二十六歳。
昭和二十年四月五日
御両親様
只今より必死必殺の攻撃に征く 心の平静たる
本日の空の如し 白木の箱の整備なる いざ 征かん南の空へ
吾が予定突入時刻
昭和二十四年四月六日 一七・〇〇
潔く散れや 筑波の若櫻
以上
海軍少佐。二十五歳。
御両親様より一足先に極楽に部屋を借りてお待ちして居ます。
陸軍大尉。二十二歳。
出撃の朝
散歩に行くような、小学校の頃遠足に行くような気持なり。
〇三〇〇朝めし。すしを食った。
あと三時間か四時間で死ぬとは思えない。皆元気なり。
出撃の朝
散歩に行くやうな、小学校の頃遠足に行くやうな気持なり。
〇三〇〇朝めし。すしを食つた。
あと三時間か四時間で死ぬとは思へぬ。皆元気なり。
海軍大尉。二十三歳。
人生わずか五十年とは昔の人の言う言葉、
今の世の我等二十年にしてすでに一生と言い、
それ以上をオツリと言う。
まして有三年も永生きすればゼイタクの限りなり。
いささか惜しまず、笑って南溟の果てに散る。
人生わづか五十年とは昔の人の言ふ言葉、
今の世の我等二十年にしてすでに一生と言ひ、
それ以上をオツリと言ふ。
まして有三年も永生きせしはゼイタクの限りなり。
いささか惜しまず、笑つて南溟の果てに散る。
海軍大尉。二十三歳。