小林よしのり

小林よりのり責任編集『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖国の言乃葉100選』(産経新聞出版,2010)70p

私もいよいよ国家のため お役に立つ時が参りました
私は赤紙を受けし日より すでに吾が身は大君に捧げて仙台部隊に入隊した私で

男と生れこんなうれしい日はありません
一旦召されたからには生きて帰る事なく第一線に出陣し死を覚悟して行きます

【平成五年三月靖国神社社頭掲示】
島田美好 命 2

陸軍伍長。二十六歳。

小林よりのり責任編集『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖国の言乃葉100選』(産経新聞出版,2010)71p

父母 兄弟に告ぐ 白木の箱が届いたら泣かずにほめて下さい。

【平成五年三月靖国神社社頭掲示】
島田美好 命 2

陸軍伍長。二十六歳。

小林よりのり責任編集『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖国の言乃葉100選』(産経新聞出版,2010)58p

お母さん、御安心下さい。決して僕は卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。
それだけで僕は幸福なのです。

【平成八年九月靖国神社社頭掲示】
富田修 命 1

海軍中尉。二十三歳。

小林よりのり責任編集『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖国の言乃葉100選』(産経新聞出版,2010)52p

僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかも知れない。
お母さん、良く顔を見せて下さい。
しかし、僕は何んにもカタミを残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてからカタミを見てお母さんを泣かせるからです。
お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。
それが僕の別れのあいさつです。

【昭和六十三年九月靖国神社社頭掲示】
茂木三郎 命 1

海軍少尉。十九歳。

小林よりのり責任編集『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖国の言乃葉100選』(産経新聞出版,2010)49p

散るべきときに散ってこそ 男と生まれし甲斐はありけり

【昭和六十年六月靖国神社社頭掲示】
散るべきときに散つてこそ 男と生まれし甲斐はありけり
豊里陳雄 命 1

陸軍上等兵。十五歳。

小林よりのり責任編集『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖国の言乃葉100選』(産経新聞出版,2010)47p

私の突込む時は必ずお父さんお母さんとさけんで突込みます。

【平成九年四月靖国神社社頭掲示】
椎根茂 命 1

海軍一等飛行兵曹 二十歳

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小林よりのり責任編集『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖国の言乃葉100選』(産経新聞出版,2010)44p

父上、母上、兄上
こゝまで書くと涙が出る。
姉上、妹、弟
皆元気でやれ。
後でトランク、荷物が届くと思う。
今、それを作っている。

【昭和四十四年五月靖国神社社頭掲示】
父上、母上、兄上
こゝまで書くと涙が出る。
姉上、妹、弟
皆元気でやれ。
後でトランク、荷物が届くと思ふ。
今、それを作つてゐる。
鹿野茂 命 1

海軍中尉。二十二歳。

われわれの生命は 講和の条件にも その後の日本人の運命にも つながっていますよ
そう 民族の誇りに

小林よりのり責任編集『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖国の言乃葉100選』(産経新聞出版,2010)11p
国民の遺書 1

小林よりのり責任編集『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖国の言乃葉100選』...