しづかなる山の奧、無常の敵きほひ來らざらんや。その死に臨めること、軍の陣に進めるに同じ(山奥の草庵で静かに暮していても、死に直面しているという点では、戦場にいる武士と変わらない)。

『徒然草』第137段より
吉田兼好

吉田兼好 17

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。治部少輔・卜部兼顕の子。本名は卜部兼好(うらべ かねよし/うらべ の かねよし)。 卜部氏の嫡流は兼好より後の時代に吉田家と称するようになり、江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。また出家したことから兼好法師(けんこうほうし)とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「兼好法師」と表している...-ウィキペディア


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