幸徳秋水 4

1871年11月5日(明治4年9月23日)~1911年(明治44 年)1月24日) 明治時代の社会主義者、ジャーナリスト。

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國民が國威國光の虚榮に醉ふは、猶ほ個人のブランデーに醉ふは如し。
彼れ既に醉ふ、耳熱し眼眛みて氣徒らに揚る、
屍山を踰へて其の慘なるを見ざる也、血河を渉りて其穢なるを知らざる也。
而して昻々然として得意たる也。

『帝國主義』岩波文庫版32頁

自家愛す可し、他人憎む可し、
同郷人愛す可し、他郷人憎む可し、
神國や中華や愛す可し、洋人や夷狄や憎む可し、
愛す可き者の為めに憎む可き者を討つ、
是を名けて愛國心と云ふ。

『帝國主義』岩波文庫版24頁

家の繁榮は決して切り取り強盗に依て得べからず、
國民の偉大は決して掠奪侵略に依て得べからず、
文明の進歩は一帝王の専制に在らず、
社会の福利は一國旗の統一にあらず、
唯だ平和なるに在り、
唯だ自由なるに在り、
博愛になるに在り、
平等なるに在り。

『帝國主義』(岩波文庫版69頁)

夫れ國民の尊榮幸福は決して領土の偉大に非ずして、其の道徳の高きに在り、其の武力の強盛に在らずして、其の理想の高尚なるに在り、其軍艦兵士の多きに非ずして、其衣食の生産の饒きに在り。

『帝國主義』(岩波文庫版88頁)

    田中兼三郎の天皇への直訴状を代筆しただけあって、文面に長けている。ただ、難しい言い回しで何言ってるかわかりませ〜ん。 - 銘無き石碑