イエス・キリスト 33
紀元前6?年 - 紀元後30?年ギリシア語で「キリストであるイエス」、または「イエスはキリストである」という意味である。すなわち、キリスト教においてはナザレのイエスをイエス・キリストと呼んでいるが、この呼称自体にイエスがキリストであるとの信仰内容が示されている...-ウィキペディア
右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい
人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない
行ってあなたがたのために場所を用意したら
‥‥‥あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる
ヨハネ福音書十四・3
第一のいましめ
心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ
マタイ二二・36~40
第二のいましめ
自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ
マタイ二二・36~40
取税人や売春婦の方が、お前たちよりも先に神の国に入る!
マタイ二一・31
金持ちが神の国に入るより、ラクダが針の穴を通り抜ける方がもっと易しいぞ
マルコ一〇・25
金持ちがますます豊かになり、貧乏人はやっと貯めた小金まで搾取されてしまう
マルコ四・25、意訳
どちらを選ぶかは自分次第 - 銘無き石碑
狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だた人の子には枕をする所がない
ルカ九・58
30歳になったイエスがヨハネから洗礼を受け、悪魔から40日間にわたって誘惑を受けた後、教えを始める。
時は満ちた。神の国は近づいた。改心して福音を信じなさい。
山上の説教で
心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである
マタイ五・3
山上の説教で
平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる
主の復活に疑惑を抱くトマスに対して
あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。
また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。
信じない者ではなく、信じる者になりなさい
『ヨハネによる福音書』より。
わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである
『ヨハネによる福音書』より。
誓いを立てるな。『然り』は『然り』とし、『否』は『否』とせよ
『マタイによる福音書』
あなたを訴えて、あなたの下着を取ろうとする者には、上着をも与えろ
『マタイによる福音書』五・40
あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい
『ヨハネによる福音書』八・1~11
後にはただ無心に女に石を投げ続けるイエスの姿があった。 - 名無し
人間同士はもともと隣人がだれであろうと愛し合うのが本当で、
それが実現するとき人間同士は隣人になる
あなたの弟子たちはなぜ断食しないのか?
新しいぶどう酒を古い革袋に入れたら、
革袋は破れてぶどう酒は流れだし、革袋もだめになる。
新しいぶどう酒を新しい革袋に入れれば、両方が長持ちする
『マタイによる福音書』九章
あなたがたは、塩のように周囲に溶け込んで大事な働きをする存在である。
また、灯台や燭台の光のように暗い道を照らし、やみの夜に輝いて、
人々の手助けをし、導き手になる存在だ
『マタイによる福音書』五章
死の一週間前にエルサレムに入って述べた言葉の一つ。
人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒の麦のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ
『ヨハネによる福音書』一二章
これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない
『新約聖書』
このように悔い改める一人の罪人については、
悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある
『新約聖書』
わたしはアルファであり、オメガである。
最初の者にして、最後の者。
初めであり、終わりである
『ヨハネの黙示録』一章,二二章
恋しい人はわたしのもの
わたしは恋しいあの人のもの
百合のなかで群れを飼っている人のもの
愛は死のように強く、熱情は陰府のように酷い。
火花を散らして燃える炎
大水も愛を消すことはできない
洪水もそれを押し流すことはできない。
AERA Mook 51『恋愛学がわかる。』(朝日新聞社,1999)P46