恨みを心中に残したままでの筋肉の偉大な発達など不可能である。
人は己に嘘をつけぬ心ゆえに自ら裁かれるものである。
外部からの制裁は無用である。
ボクの履歴書より
1千回と1千1回とでは天と地の隔たりがあった。
まさに最後の1回は全身全霊の限界力を振り絞った一発。
その前の1千回はこの1回のためのお膳立てに過ぎない。
最後の一発はその前の1千回に勝るとも劣らない価値がある。
ぶっ潰れたときが終わりの合図だった
他人を納得させる記録や結果よりも
たとえ自己満足と笑われようが自分で自分に心から「よくやった」
と、ひとこと言える闘いこそ、まことの勝利であり
人間としての自信と誇りを得て
人生で最も大切な優しさや思いやりを身にまとう瞬間だと思う
後から付いてくる評判や名声は有難いが付属物に過ぎない。
既にそこには己の成長に加味する何物もないのだ。
だから負けや失敗を恐れず自分の心が真に欲する闘いに黙って挑みたい。
「ボクの履歴書」より
既にそこには己の成長に加味する何物もないのだ。
だから負けや失敗を恐れず自分の心が真に欲する闘いに黙って挑みたい。
「ボクの履歴書」より
まさに「昨日の自分より今日の自分だよね」 - 銘無き石碑
たとえ他者から認められたいとしても、
自分が納得出来ないようじゃ人を惹きつけることなんか出来ないですよね。 - 銘無き石碑
絶望や失意の時こそ
過去の自分を反省する絶好のチャンスであり
またとない飛躍の時なのだ
人生の中の数少ない巨大なチャンスは、実は悲しみに満ちた絶望の谷間の中にこそ隠れている。
「ボクの履歴書」より
「ボクの履歴書」より
黙っていても人生は新しいトラブルが次から次にやってくるものだ。
自分の心に嘘をつけぬ正直な心で全霊のトレーニングを行い
心身ともに鍛えておけばどんな難局もいつかは必ずクリアできる。
「ボクの履歴書」より
後輩には「審査というものは審査員の主観によるものだから、結果に一喜一憂してはならない。真の審査員は自分に嘘のつけぬ自分自身の心そのものだ」などと偉そうなことを常々申し上げていたが、期待していた結果が出ないことは、やはりちょっとばかり寂しく悲しい
「ボクの履歴書」より
天命とは自ら避けても幾度となくやってくるものではあるが
やはり、強く求めれば求めただけの答えを
天は返してくれる
ボクの履歴書 より
負けや失敗を恐れず自分の心が真に欲する闘いに黙って挑みたい。
心で念ずることは肉体に多かれ少なかれ現ずるのである。
信じることの出来る人は幸いである。
ボディビルが世間からどのような評価を受けようが、ボクはこれを通じて
神を信じ讃え、愛を語り、生命の美しさ、人生の尊さを具現していくのだ。
一糸まとわぬ此の裸の肉体に、己の魂と全霊のエネルギーをそそぎ込み、
天の祝福を彫刻していく喜びは芸術家の喜びであり、修行僧のそれでもある。
敗北や挫折は決して人生の落とし穴ではない。
むしろ好機なのだ。心が受けるダメージが大きい敗北ほどよい。
結局はその人間を再起させ、
以前にも増して輝かせるものは心以外の何ものでもない。
心が動いて初めて真の力が出る。
時間が必要以上にあるからといって油断してはならない。
今、自分に与えられた限られた時間を大切にすることである。
壁にぶち当たったときこそ真のスタートラインであり、
ボディビルダーとしての価値が問われるときなのだ。
- 銘無き石碑
ボディビルの神髄は心と肉体の調和にこそある。
内面から迸るオーラの輝きを持たない肉体は、何の感動も魅力も伴わない。
自らの心が勝敗に支配される限り、決して心の安寧など存在しない。
自分のためだと思うと力は出ないが、
自分を信じてくれている人たちのためなら頑張れるような気がした。
極限の肉体を追求して止まぬ心、決して限界を認めぬ心。
この心が今日までのボディビルの歴史を築いてきたのであり、
未来をクリエイトしてくのだ。
己の肉体と精神の限界点を見極めたのならば、
あとは天命に任せるのみであり、ジャッジの決めることである。
ボクはボディビルを通じて万人を勇気づける心の医者になりたいと願っていた。
あたはやな
ブドウ糖入れないで下さい
救急隊員に言った北村さんの最期の一言
北村さんと非常に親しかった人による
北村さんと非常に親しかった人による
ブドウ糖何ccいれましたか?
何度も倒れて、目覚めの第一声
ボクの履歴書 Vol 64より
かつて不正なドーピングテストで汚名を着せられた事件についての記事にて