鶴彬 9

1909年1月1日 - 1938年9月14日
日本のプロレタリア文学の影響を強く受けた代表的な反戦川柳作家。石川県河北郡高松町(現かほく市)生まれ。本名、喜多 一二(きた かつじ)。佐高信は鶴を「『川柳界の小林多喜二』と言われた」と自著で紹介している。また、その死の唐突さのため、官憲による赤痢菌注射説が噂されたと指摘している。具体的な出典は述べられていない...-ウィキペディア

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ロボットを殖やし全部を馘首する

これからも不平言ふなと表彰状

1935年の作品

フジヤマとサクラの国の失業者

1935年の作品

暁をいだいて闇にゐる蕾

1936年(昭和11年)の作品

タマ除けを産めよ殖やせよ勲章をやろう

1937年(昭和12年)の作品

蟻食ひを噛み殺したまゝ死んだ蟻

1937年(昭和12年)の作品
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屍のゐないニュース映画で勇ましい

1937年(昭和12年)の作品

万歳とあげて行った手を大陸において来た

1937年(昭和12年)の作品

修身にない孝行で淫売婦

鶴彬(1910ー45)の作。
鶴は川柳作家で、反戦を主張したため治安維持法で逮捕され、獄死した。