会田雄次 6

1916年3月5日 - 1997年9月17日
日本の歴史学者、京都大学名誉教授。保守派の論客として知られた。 ルース・ベネディクトの日本論を批判した。...-ウィキペディア

  • 6件を表示

愛情で夫婦が結ばれるのは、20代限り。
30代は互いの努力によってかろうじて関係が保たれる。
40代は努力するエネルギーがなくなってがまんする以外に方法がなくなり、
50代はがまんさえできなくなって互いにあきらめの境地に入る。
そして60代に入ってはじめてお互いに感謝するようになるのだ。

「日本人材論」より

    結婚式で来賓の方からこの名言を送られました。
    結婚して早15年。
    当時はバカにしていたけど、今は名言だと実感しています。
    現在、私は40代。がまんの年代。
    なんとか今の伴侶と「感謝」の年代までいきたいものです。 - アッキー

    現実は悲しいもの。だからこそ、それを結婚式に教えるのは良し悪し…智恵があればいつかは気づくこと。夢を見させてあげることも時には大切なのでは? - 銘無き石碑

巨大な「もし」を考えるとき何より必要なのは、
この構想力なのである。歴史に「もし」は禁句だ、などと歴史家がいうのは、
自分にそういう構想力が欠けていることをかくすためではないか、
と私など皮肉の一つもいいたくなるというものである。

私たちは何か本当に精神的な安息感、心に暖かさを与えてくれるものを、
職場でも家庭でも遊びの世界でも遂に見出し得ず、
舞台の上で見せかけの演技をやりつづけているような不安感に駆られ
真の安住を得ていないのではないか。
それは日本人の民族性と本当に融合した生活をしていないからではないか。

都会で考えても東京より大阪、
大阪より京都と生活のアメリカ化が遅れている町ほど、
所得が少なく娯楽が乏しいにせよ、
明らかに人々の表情に苛立ちが減り、
より安定感がみられるのはそのことを示しているといえよう。         

私たちは、間違わない奴ほど世の中でイヤな人間はいないのだ、
ということを本当に知り、過ちを恐れず、自分の欠点も隠さず、
もっと気楽に世の中を送るようになるべきだと思う。

「新選 日本人の忘れもの」より

産經新聞21年2月15日「昭和正論座」・「各論賛成,総論反対の提唱」会田雄次著より。
(前略)私たちは,いつも心の中で自分の利益,つまり各論を,何とかうまく正反対の総論,つまり社会正義の形,いいかえれば本音にうまくたてまえの衣を着せようと狙っている国民ではないかということである。
それなら,誰でも,どこの国民でも誰でも同じことだろうと読者は考えるかもしれない。(中略)。そういう傾向は確かである。しかし,日本の場合はとくに明らかな特徴があり,それが目立ちすぎるのだ。
その特徴とは,第一には各論を一挙に総論に短絡させるということ,第二に,その短絡性,つまり論理不足を埋めるために情緒的な道義をぬりこめるということである。そして第三には,何も総論に持ち込む必要がない各論にも,やたらと大義名分を主張することだ。小さな信義ににこだわって大義を忘失することは誰でも落ちこみやすい陥せいだが,小我はもちろんのこと小節を大義化することだって何ともいやらしい。
(後略)

掲載者の「視点」によると,今になって「郵政改革は反対だった」と漏らした政治家のことがきっかけで,改めてうなってしまった,とある。私も会田先生のお考えに大賛成。
広告