森鴎外 10

1862年2月17日 - 1922年7月9日
日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部卒業。 大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年過ごした...-ウィキペディア

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私は学殖なきを憂うる。常識なきを憂えない。天下は常識に富める人の多きに例えない堪えない。

「伊沢蘭軒」より

善とは家畜の群れのような人間と去就を同じうする道にすぎない。
それを破ろうとするのは悪だ。

「仮面」より

実に敵という敵の中で山の神ほど怖ろしい敵はいない

「金貨」より

罵言は世間のために風俗を矯る利あるべく、
一身のために信用を長ずる益あるべし。

「語録」より

世間の人は虎を、性欲の虎を放し飼いにして、
どうかすると、その背に乗って逃亡の谷に落ちる

「断片」より

人の光を籍りて我光を増さんと欲する勿れ

「智慧袋」より
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おれなんぞの顔は閲歴がだんだんに痕を刻み付けた顔で、親に産み付けてもらった顔とは違う

「半日」より

    そんなわけない、彼は遺伝学をキチンと学ぶべき - 銘無き石碑

己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。
天下に一人のそれを理解してくれなくたって、己はそれに安じなくてはならない

「余興」より

心理学が思量から意思へ、意思から衝動へ、衝動からそれ以下への心的作用へと、次第に深く穿っていく。そして、それが倫理を変化させる。

沈黙の塔

現在は過去と未来との間に画した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。