シモーヌ・ド・ボーヴォワール 11
1908年1月9日 - 1986年4月14日
シモーヌ・リュシ=エルネスティーヌ=マリ=ベルトラン・ド・ボーヴォワール(Simone Lucie-Ernestine-Marie-Bertrand de Beauvoir、1908年1月9日 - 1986年4月14日)はフランスの作家、哲学者。
サルトルの事実上の妻。サルトルの実存主義に加担するとともに、フェミニズムの立場から女性の解放を求めて闘った。...-ウィキペディア
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男は女にすべてを与えよと求む。女がそのとおりにすべてを捧げ、生涯を上げて献身すると、男はその重荷に苦しむ
「第二の性」より
男は妻や愛人を嫌悪すると逃げようとする。だが、女は憎む男に返報しようと手許に抑えておきたがる
「第二の性」より
人は女に生まれない。女になるのだ。
・・・文明の全体が人間と雄と、去勢物の中間の者を女性と呼んでいるのだ
「第二の性」より
結婚とは、男女の経済的・性的結合の集団の利益に向かって追い越されることで、
彼ら個人の幸せを確保することが目的ではない
「第二の性」より
結婚は男にとってしばしばひとつの危険である。その証拠に、多くの男の精神患者が婚約期あるいは結婚生活の初期に生まれるからである。女は結婚することによって世界の小さな一部分を自分の領域きとして与えられる。法律が彼女を男の身勝手から守ってくれる。だが、その代わりに女は男の臣下となる
「第二の性」より
年頃の娘たちは結婚のために結婚する、
結婚によって自由になれるから
「第二の性」より
結婚によって自由になれるから”
私の大好きな言葉。本当にその通りですから。娘にもそう言っています。 - Gin
人は天才に生まれるのではない。天才になるのだ。
妻となった女は給金のいらない女中でも、タダで買える娼婦でもない
福田和彦『痛快!性愛学』(集英社インターナショナル,2001)P60
女とは他者である
『第二の性』(1949年)より。
さしあたって恋愛は最も悲壮な形で示される女の世界に閉じこめられた女、
自立できない女に重くのしかかる矛盾の縮図である
『第二の性』より。