芥川龍之介 42

1892年3月1日 - 1927年7月24日
日本の小説家。本名同じ、号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼。 その作品の多くは短編である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。...-ウィキペディア

われわれを支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。
われわれはほとんど損害のほかに、なんの恩恵にも浴していない。

『侏儒の言葉』(岩波文庫版9~10頁)

正義は武器に似たものである。
武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるのであろう。
正義も理屈をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。
古来「正義の敵」という名は砲弾のように投げかわされた。
しかし修辞につりこまれなければ、どちらがほんとうの「正義の敵」だか、
めったに判然としない。

『侏儒の言葉』(岩波文庫版15~16頁)

    だから、何が言いたい? - 銘無き石碑

「勤倹尚武」という成語ぐらい、無意味を極めているものはない。
尚武は国際的奢侈である。現に列強は軍備のために大金を費やしているではないか?

『侏儒の言葉』(岩波文庫版68頁)

暴君を暴君と呼ぶことは危険だったのに違いない。
が、今日は暴君以外に奴隷を奴隷と呼ぶこともやはりはなはだ危険である。

『侏儒の言葉』岩波文庫版34頁

危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である。

『侏儒の言葉』(岩波文庫版32頁)

奴隷廃止ということはただ奴隷たる自意識を廃止するということである。
われわれの社会は奴隷なしには一日も安全を保し難いらしい。
現にあのプラトオンの共和国さえ、
奴隷の存在を予想しているのは必ずしも偶然ではないのである。

『侏儒の言葉』(岩波文庫版33頁)
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倭寇はわれわれ日本人も優に列強に伍するに足る能力のあることを示したものである。われわれは盗賊、殺戮、姦淫等においても、決して「黄金の島」をさがしに来たスペイン人、ポルトガル人、オランダ人、イギリス人等に劣らなかった。

『侏儒の言葉』(岩波文庫版69頁)

われわれ日本人の二千年来君に忠に親に孝だったと思うのは猿田彦命もコスメ・ティックをつけていたと思うのと同じことである。もうそろそろありのままの歴史的事実に徹して見ようではないか?

『侏儒の言葉』(岩波文庫版69頁)

理想的兵卒はいやしくも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。すなわち理想的兵卒はまず無責任を好まなければならぬ。

『侏儒の言葉』(岩波文庫版68頁)

理想的兵卒はいやしくも上官の命令には服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加えぬことである。すなわち理想的兵卒はまず理性を失わなければならぬ。

『侏儒の言葉』(岩波文庫版67頁)

政治家のわれわれ素人よりも政治上の知識を誇りうるのは紛紛たる事実の知識だけである。畢竟某党の某首領はどういう帽子をかぶっているかというのと大差ない知識ばかりである。

(『侏儒の言葉』岩波文庫版45頁)
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どうせ生きているからには、
苦しいのは当たり前だと思え。

幸福とは、幸福を問題にしない時をいう。

倭寇はわれわれ日本人も優に列強に伍するに足る能力のあることを示したものである。われわれは盗賊、殺戮、姦淫等においても、決して「黄金の島」をさがしに来たスペイン人、ポルトガル人、オランダ人、イギリス人等に劣らなかった。

芥川龍之介『侏儒の言葉』
(岩波文庫版・69頁)
(引用は1984年12月20日発行版に拠る)

軍人は小児に近いものである。英雄らしい身ぶりを喜んだり、
いわゆる光栄を好んだりするのは今さらここに言う必要は無い。
機械的訓練を貴んだり、
動物的勇気を重んじたりするのも小学校にのみ見うる現象である。
殺戮をなんとも思わぬなどはいっそう小児と選ぶところはない。
ことに小児と似ているのは喇叭や軍歌に鼓舞されれば、
なんのために戦うかも問わず、欣然と敵に当たることである。

『侏儒の言葉』岩波文庫15頁
(引用は1984年12月20日発行版に拠る)

われわれに武器を執らしめるものはいつも敵に対する恐怖である。
しかもしばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である。

芥川龍之介『侏儒の言葉』岩波文庫91頁
(引用は1984年12月20日発行版に拠る)

なぜお前は現代の社会制度を攻撃するか?
資本主義の生んだ悪を見ているから。
悪を?おれはお前は善悪の差を認めていないと思っていた。ではお前の生活は?
―彼はこう天使と問答した。もっとも誰にも恥ずるところのないシルクハットをかぶった天使と。……

芥川龍之介『或る阿呆の一生』
引用は1984年発行の旺文社文庫版
『河童・或る阿呆の一生』より