ライナー・マリア・リルケ 105

1875年12月4日 - 1926年12月29日
オーストリアの詩人、作家。シュテファン・ゲオルゲ、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールとともに時代を代表するドイツ語詩人として知られる。 プラハに生まれ、プラハ大学、ミュンヘン大学などに学び、早くから詩を発表し始める。当初は甘美な旋律をもつ恋愛抒情詩を発表していたが、ロシアへの旅行における精神的な経験を経て...-ウィキペディア

どうやら、君は、ひどく幼稚な夕雲のようだね

神さまの話

じつにいろいろな国がありますからね

神さまの話

こうして、僕たちは、心からなる握手を、交わしたのでした。

神さまの話

あなたとした方が、子供は神から出ているということを、
お忘れになっていらっしゃるとは。

神さまの話

いまもまた、あなたは、あのすばらしい方を、神を、
待ってらっしゃる。

神さまの話

もとより、彼らが、ここで、一点の非の打ちどころもない名言を、
吐いていたとは、けっして、断言できません。

神さまの話
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愛するということ、それは、どこからも、なにも、
貰わないことです。

神さまの話

かつて持っていたものとか、
その他さまざまのもの、一切合財を忘れ去って、
むしろ、それを、ただひとりの人間から、
受け取りたいと、望むことです。

神さまの話
(愛について)

きょうのうちに、僕は、旅立とう。
君が、僕を、無理に立ち去らせるのさ。

俗人では、とても、意味の解せないような言葉を、
二、三、しきりと振りまわしていました。

神さまの話

神さまは、たしか、全知ではございませんの。

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私には、死をお迎えにゆくことだって、できません。

世間では、途中でひょっくり、
死に逢うひとが、多いようです。
死は、わざわざ、ひとびとの住家にまでも、
出かけてゆくのが、いやなんでしょう。

恋びとのためにこの夜を用意し
自分の感得した空で彼女を甘やかす者とは違うのだ

私たちの微笑 それは遠くへ誘いはしない
たとえ誘っても 誰がそれについてゆくだろう?

私たちが泣くとき 私たちは可憐のほかのなにものでもない
私たちが見るとき 私たちはせいぜい目覚めているにすぎない

ここまで来ても、相手方に、
この自分の土地が、一区画なりとも知れて、
あの下品な表現により、冒瀆されはすまいかと、
いずれも、疑心暗鬼に、たえず、かられていたからです。

でも、いつかは、子供たちにも、闇を愛する時期が、訪れるでしょう。
そうして、闇から、僕の話を、受け取ってくれるでしょう。

ああ イエスよ イエスよ 私たちの時はいつでした?
なんと奇妙に 私たちふたりは亡んでゆくことでしょう

私は、ただ、神がいられたというこを、
かつてはたしかにいられたということを、
身に感じたのです・・・・・・
それ以上、感じる必要が、どこにございましょう。

神さまの話

すると、神を発見されたわけですね

私は自分のこの心から 大きな空の下へ出ていきたい

私は祈りたい すべての星のうちのひとつは
まだほんとうに存在するに違いない

私は思う たぶん私は知っているのだと
どの星が孤りで 生きつづけてきたかを

真実のなかで歌うのは それとは別な息吹きだ
なにものも求めない息吹き 神のなかのそよぎ
一陣の風だ