三島由紀夫 77

1925年1月14日 - 1970年11月25日
日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。血液型はA型。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である。『Esquire』誌の「世界の百人...-ウィキペディア

これは一種の未来小説で
今は問題にならないかもしれないけれど、
十年二十年先には問題になるだろう

石原慎太郎が『完全な遊戯』を出したとき

個人が組織を倒す、といふのは善である。

「個人が組織を倒す道徳――『サムライ』について」

やたらと人に弱味をさらけ出す人間のことを、私は躊躇なく「無礼者」と呼びます。

「不道徳教育講座 告白するなかれ」

ちつぽけな希望に妥協して、
この世界が、その希望の形のままに見えて来たらおしまひだ。

鏡子の家

あなたはせいぜい人生を馬鹿にしているつもりでいるが、
人生が悪戯っ子をゆるすように微笑を以て
あなたを恕していることに気づかないんです。

確かに人間の存在の意味には、存在の意識によって存在を亡ぼし、
存在の無意識あるいは無意味によって存在の使命を果す
一種の摂理が働らいているにちがいない。

広告

人間はあやまちを犯して初めて真理を知るのである。

人間の弱さは強さと同一のものであり、
美点は欠点の別な側面だという考えに達するためには、
年をとらなければならない。

愛するということにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠の素人である。

著書『愛するということ』より

第二に、人間は全然、生きたいという意志など持ってはいないことだ。生きる意志の欠如と楽天主義との、世にも怠惰な結びつきが人間というものだ。


    ホエー深いなぁ。人間は生きたいという意思をもってない。人間は中途半端な生きる意思と楽な気持ちとの結びつきが人間。・・・確かに戦争や争いを繰り返してきた人間は生きる意思欠如してるかも - こんちは

金泥のけばけばしさ、死、美しい孤独の青春、
彼は自分の孤独が美しく見えることをよく承知していた!そして近寄って来る女たちをみな遠ざけた。

広告

お前の運動はテレヴィジョン向きに出来ている。俗衆に媚びて、お賽銭をいただく。
そしてそのお前の悲しそうな顔を、せいぜいブラウン管の売り物にするがいい

どうしても理解できないということが人間同士をつなぐ唯一の橋だ


    確かに。たとえば、役者がなぜ演じるのがそんなに好きなのかを説明してもらったって、結局は理解できないからな。 - 銘無き石碑

僕は春が大きらいだ


    春にいい想い出がないのかなあ。 - 銘無き石碑

    どうして春が嫌いなのですか? - 銘無き石碑

    あれ?「行動学入門」で「いずれ春永に」が好き、好むって書いてあった様な………
    それとこれは別なんかね、、 - 傀儡野郎

自分自身は何も感じないで、そのくせ人には理由のない酩酊を強いる不感症の春。

命を懸けなくてはあの人に会えないという思いが、あの人を美の絶頂へ押し上げるだろう。


    思い上がりが見苦しいし、痛々しい。 - 銘無き石碑

    君に命を懸けることはないな。 - 銘無き石碑

    懸ける?or賭ける? - 銘無き石碑

    なぜなら、君は真剣に生きてないからだ。 - 銘無き石碑

    真剣に生きていたら、いろんなことを学ぶし、自然と謙虚になるものだ。 - 銘無き石碑

一般人のもつケチな反則に絶望せよと要求する。

一つの純粋さのために千の純粋さが犠牲にされねばならぬ。

従って純粋な作家の方法論は、不純のかたまりでなければならぬ。

芸術には人間的な目的というものはないのだ。

君はその指でもって生命に触れるとでも言いたげだね。猥褻だね。生命は指で触れるもんじゃない。生命は生命で触れるものだ。


    努力を捨てた人間は、人として終わっている。 - 銘無き石碑

    生命は生命に触れるって、指ではなく心で触れるってことかなあ。 - 銘無き石碑

生きているということは一種の綱渡りだ。

川端さんが非常な意識家であることは間違いない。意識家がどうして陰にならなければならないのか、それがぼくの根本問題です。

陰の作家はヒーローは書かない。書きたいと思わない。

自然は生れるものであり、創られるものではない。