これは一種の未来小説で
今は問題にならないかもしれないけれど、
十年二十年先には問題になるだろう
石原慎太郎が『完全な遊戯』を出したとき
個人が組織を倒す、といふのは善である。
「個人が組織を倒す道徳――『サムライ』について」
やたらと人に弱味をさらけ出す人間のことを、私は躊躇なく「無礼者」と呼びます。
「不道徳教育講座 告白するなかれ」
ちつぽけな希望に妥協して、
この世界が、その希望の形のままに見えて来たらおしまひだ。
鏡子の家
あなたはせいぜい人生を馬鹿にしているつもりでいるが、
人生が悪戯っ子をゆるすように微笑を以て
あなたを恕していることに気づかないんです。
確かに人間の存在の意味には、存在の意識によって存在を亡ぼし、
存在の無意識あるいは無意味によって存在の使命を果す
一種の摂理が働らいているにちがいない。
人間はあやまちを犯して初めて真理を知るのである。
人間の弱さは強さと同一のものであり、
美点は欠点の別な側面だという考えに達するためには、
年をとらなければならない。
愛するということにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠の素人である。
著書『愛するということ』より
第二に、人間は全然、生きたいという意志など持ってはいないことだ。生きる意志の欠如と楽天主義との、世にも怠惰な結びつきが人間というものだ。
金泥のけばけばしさ、死、美しい孤独の青春、
彼は自分の孤独が美しく見えることをよく承知していた!そして近寄って来る女たちをみな遠ざけた。
お前の運動はテレヴィジョン向きに出来ている。俗衆に媚びて、お賽銭をいただく。
そしてそのお前の悲しそうな顔を、せいぜいブラウン管の売り物にするがいい
どうしても理解できないということが人間同士をつなぐ唯一の橋だ
僕は春が大きらいだ
それとこれは別なんかね、、 - 傀儡野郎