孤独

加藤諦三 名言数 4

日本の社会学者。作家。

三木清 名言数 62

(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.....-ウィキペディア

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 名言数 5

渡航による日本のライトノベル。略称は「俺ガイル」。 イラストはぽんかん⑧が担当...-ウィキペディア

貴方は性格が悪いから、友達がいないのでしょう。同年代の異性の恋愛対象になれないのでしょう。とても辛くて遣りきれないのでしょう。腹立たしくて不満だらけなのでしょう。お気の毒に。 - 銘無き石碑
貴方と付き合って感じることは、対話してても、感動がないということ。心に響く言葉がないのだ。 - 銘無き石碑
主人公が陰湿なイジメに遭う小学生を救うために、イジメを行う側のグループを相互不信に陥らせ分断させることを提案した際の一言。 - 銘無き石碑
やり方がスマートじゃないね。だから、即座に解決という訳には至らないんじゃない。イジメの原因が見極められてないように思われる。センスがないし、ダサいし、痛いし、侘びしいね。 - 銘無き石碑
主人公もこの提案を問題の解決ではなく、問題の解消と言っている。
格好がつかなければ手を差し伸べる気にもならない人間より、いくらか被害者の救いになると思うが。 - 銘無き石碑
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小松万豊 名言数 6

昭和30年代、日本の製品は「安かろう悪かろう」だった時代に、日本製トランジスタラ...

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司馬遼太郎 名言数 45

日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)...-ウィキペディア

尖鋭化は、孤立感の結果であることが多い。
そして、
孤立感から過激化した人は、他者の同情は得られても、敬意までは得られない。

塩野七生『人びとのかたち』(新潮社,1997)255p
塩野七生 名言数 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

山崎樹範 名言数 13

日本の俳優、声優、タレント。愛称はやましげ、校長、ほのぼの、ザキヤマ。 東京都...-ウィキペディア

つらいのは今だけ - 銘無き石碑
喋れないは何も考えてないからだろ。 - 銘無き石碑
友達に尽くしていますか?人付き合いをちゃんとしてますか? - 銘無き石碑
ポール・グレアム 名言数 53

米国のLispプログラマーでエッセイスト。『ANSI Common Lisp』や...-ウィキペディア

フリードリヒ・ニーチェ 名言数 331

ドイツの哲学者、古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られ...-ウィキペディア

フリードリヒ・ニーチェ 名言数 331

ドイツの哲学者、古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られ...-ウィキペディア

加藤諦三 名言数 4

日本の社会学者。作家。

加藤諦三先生の本は、若い頃に10冊以上買って読みました。
ですが、私が感じたことは、物事が好転するには本質的な変化を必要とすることであると感じています。
加藤先生の本を読んで、知的な面では理解が深まるでしょうが、では一体どうやって加藤先生の提言を実現するのかということです。
加藤先生の本を読んで幸福になれるなら、皆さん幸福になれれます。
しかし現実にはそうは簡単に行きません。
なぜなら。そう簡単に自発的に献身的に他の人を愛することが出来るようにはなれないからです。
なぜ愛することが出来ないか、その理由は簡単です。
愛を身近に経験したことが極めて少ないからです。
愛を知らないので愛を表すことが不可能なのです。
知りもしない知識を人に伝えることなど不可能なのです。
それは、両親からの愛が極めて限定的で世界の果てに居る人々にまで及ぶような深遠な愛ではないからです。
要するに愛を知らない人が、無私の奉仕を行い、隣人を深く愛するなどと言うことは、不可能なことなのです。
率直に言えば、ほとんどの日本人は真に愛されたことがないのです。
私がここで触れている愛とは、無意識の世界にまで及ぶ真実の純粋な愛のことです。
無意識の世界がこの世的な力や、肉欲的な思いに支配されていては、純粋な愛の表れを期待することは不可能だと言うことです。
この世的な思いに支配されていれば、不合理な力や、権力意志的な力に負けてしまうと言うことです。
問題は極めて深刻です。
この問題に正面から真摯に勇敢に直面しようと意識し始めることによってのみ、隣人を愛することの初めの第一歩が踏み出せるのです。
要するに日本人は純粋に愛以外の混じりけのない愛で、隣人を愛することが出来ないということです。
愛を生み出す第一の原則は、自分自身を正しく受け入れ、自分自身を正しく愛すると言うことです。
自分自身を正しく愛するということは、隣人を正しく愛するという原則と、全く同一の原理なのです。
この自分自身を正しく愛するとは、一体何か?
ここが重要な問題です。
自分自身を愛するとは、自分自身に対する正当な評価が出来ると言うことです。
正当な評価が可能と言うことは、正当な自己主張が出来ると言うことと、密接に関連しています。
つまり、精神的に健康な人は、自分自身に対する肯定的で、建設的で、楽天的なものの見方、考え方ができ、しかも大胆な主張が出来ると言うことです。
ようするに自己主張の出来ない人は、わたしは存在しないと言っているのです。
繰り返せば、自己主張できないということは、存在していないと言うことを意味しているのです。
それは、弱者に対する不当な差別ではありません。
健康な人は、自分自身の主張を建設的に主張できるという当然のことなのです。
ところが、日本人は幼いときから、自己主張することを不当に歪められて、育てられてきました。
およそ、修正が困難なほどに歪められています。
宗教的なことには、あまり触れたくはないのですが、これはキリスト教のような無私の奉仕のような精神的な事柄が大きく影響していると思います。
ですが、私たちはこの問題を克服して解決しなければなりません。
それには、わたしが示す愛は、本物なのかを自分自身に問いかける必要があると思います。
それが、できるなら愛する事への第一歩が歩み出せるのではと感じています。
不十分な主張があることをお詫びして終わらせて頂きます。
- トト
どれが不幸と思うのかの意識の違いによって、見方が異なると思います。うわ〜やだなと思う事柄が一人一人違うように。 - 銘無き石碑