オリンピックはいつのまにかスポーツマンの祭典ではなく、もう一つの戦争になってしまった。クーベルタンは「国家の尊厳」に殺されてしまったのだ。100mランナーの栄光も悲惨も、いまでは国家が肩代わりしてしまい、選手は国家のスタンドイン(代理人)として走っているだけにすぎなくなった。122本の国旗が掲げられたときから、オリンピックは政治的なゲームとして開始され、その歪みを引き受けて、テロを誘発するに到ったのだ。
「死者の書」より。ミュンヘンオリンピックに関して。
寺山修司