大器は晩成す

「老子」より
老子

老子 51

春秋戦国時代の中国における哲学者である。諸子百家のうちの道家は彼の思想を基礎とするものであり、また、後に生まれた道教は彼を始祖に置く。「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。書物『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりする。道教のほとんどの宗派にて老子は神格として崇拝され...-ウィキペディア


寄せられたコメント(5)


    大器は晩成せずが正しい。老子が大器は晩成すなどと 至極当たり前のことを云うはずなかろう。世に大器として晩成したものなど、ぼけにほめられてるだけだ。ボケに褒められるものなど 大器ではなかろうに。それが証拠に私は木偶の坊とあつかわれているが、そこらのやつよりよっぽど大器だ。 - warau1943//www.co.jp

    >私は木偶の坊とあつかわれているが、そこらのやつよりよっぽど大器だ。 中二病の自画自賛は他所でやれよ。 ここは自己紹介の欄じゃねえ。 - 銘無き石碑

    お前等よっぽど暇なんだな! 俺もな! - 大仏の頭

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    大器は、晩成するまでわからないし、本人にも大器であることが、わからない。結果論というには、あまりに悲しい。何をもって大器と言えるのであるか、目に見えるものである金銭・名誉、見えない人徳、計れない仁。平凡を大器と言うには、あまりにも客観的過ぎる。私は非凡の中に大器は存在するのではないかと思うが、いかがでしょうか。大器を形として定義できる方がおられるならば、是非教えてください。 - natinootete

    老子はやはり「大器は晩成せず」と言っておりました。「大器免成」が正しいそうです。免だからしないになります。「大器晩成」は日本の文部省だけ? - warau1943

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