大器は晩成す 「老子」より 老子 経験 (107) 才能 (129) 時 (41) 漢詩 (199) 中国 (654) 老子 51 春秋戦国時代の中国における哲学者である。諸子百家のうちの道家は彼の思想を基礎とするものであり、また、後に生まれた道教は彼を始祖に置く。「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。書物『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりする。道教のほとんどの宗派にて老子は神格として崇拝され...-ウィキペディア
大器は晩成せずが正しい。老子が大器は晩成すなどと 至極当たり前のことを云うはずなかろう。世に大器として晩成したものなど、ぼけにほめられてるだけだ。ボケに褒められるものなど 大器ではなかろうに。それが証拠に私は木偶の坊とあつかわれているが、そこらのやつよりよっぽど大器だ。 - warau1943//www.co.jp 2010年04月19日 23時07分
大器は、晩成するまでわからないし、本人にも大器であることが、わからない。結果論というには、あまりに悲しい。何をもって大器と言えるのであるか、目に見えるものである金銭・名誉、見えない人徳、計れない仁。平凡を大器と言うには、あまりにも客観的過ぎる。私は非凡の中に大器は存在するのではないかと思うが、いかがでしょうか。大器を形として定義できる方がおられるならば、是非教えてください。 - natinootete 2012年03月20日 15時50分