ラビンドラナート・タゴール 15

1861年5月7日 - 1941年8月7日
インドの詩人 、思想家。詩聖(グゥルゥデーウ गुरुदेव)として非常な尊敬を集めている。1913年には『ギーターンジャリ...-ウィキペディア

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称讃されると恥ずかしくなる、私が内心では、それを期待しているから

「迷える小島」より

悪は河における岸のごときものである。岸は流れを堰くが、、それは流れを推し進めるよすがとなる。
この世の悪は、人間が水の流れるごく善にむかわしめるために存在する。

「生の実現」より

耕す人が固い地面を耕している所、道を作る人が石を碑にしている所、そこに神はまします

「ギンタンジャーリ」より

「われ存す」ということが不断の驚きであるが、つまり、それが人生である

「迷える鳥」より

善をなさんとするものは門を叩き、
愛する者は門が開放されているのを見出す

「迷える島」より

人間の歴史は虐げられたものの勝利を忍耐強く待っている。

「迷える鳥」より
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古い種子は生命の芽を内部に持っている。
それはただ、新しい時代の土壌に蒔かれる必要があるのだ。

「最初の訪日における東大の講演」より

危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。
不安と怖れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。
成功の中にのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。


    いいね - 銘無き石碑

成功者が、神のとくべつな加護があったと自慢するとき、神は恥ずかしくおもう。

可能は不可能に尋ねた。
「君の住所はどこ?」
「無気力者の夢の中です」
と不可能は答えた。

インドの詩人

うわべのみの自由の名によって、自由を粉砕することはまったく容易である。

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私が願うのは 危険から護られることではなく
危険のさなかで 恐れないことです

哀しみのどん底 心のはげしい痛みの中で
慰めてもらうことではなく 
哀しみを克服し 勝利をうたうことなのです

真の自己に生きる人において
犠牲は一種の喜びである

愛の中では、人生の矛盾はすべて沈んで消えうせる。
ただ愛の中でのみ、単一と二次とが衝突することなく存在するのだ。