ムスタファ・ケマル・アタテュルク 7

1881年5月19日 - 1938年11月10日オスマン帝国軍の将軍、トルコ共和国の元帥、初代大統領(在任1923年10月29日 - 1938年11月10日)。-ウィキペディア

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「私は数えきれないほど戦場で死と直面したし、必要とあれば明日にでも再び命を戦場でさらすつもりでいる。だが、それはすべて、祖国を強力な独立国家にしたいがためである。私は、私の生きがいである唯一のもの、すなわちトルコ国民を、進歩へ向かって導かねばならない。我が国民が進歩への道をしっかりと、そして方向を間違えることなく歩めるようになった時、私はすべての権力を手放すつもりでいる。だが、我が国民の歩みはまだ始まったばかりなのだ。すなわち、私を殺すことはトルコ国民の未来を奪うことなのだ。もっとはっきり言おう!現在の時点においては、私がトルコだ!」

第一次世界大戦後、トルコ滅亡の危機を救った元軍人、初代大統領。
イスラム国家であるトルコの政教分離を行い、同国の近代化に尽力した。

私がトルコだ。
私を滅そうとすること、それはトルコ自身を滅そうとすることだ。
私によってトルコは呼吸し、トルコによっては私は存在するのである。

国民の尊厳と独立とを保障するのは、哀訴歎願によって、あるいは
公正と憐憫にうったえることによってではない。それは闘争によるものである!
憐憫や後世にすがるのは基本原則ではありえない。トルコ国民もまた未来の
世代も、このことを決してわすれないでいただきたい。

人民を真の国民の位置まで高めるのは教師なのです!
新しい世代、新しいトルコを築き上げようとしているのは、先生、あなたがたなのですぞ!
わたしたちが一致して心がけた仕事に未来がくだし判断は、一にかかってあなたがた、あなたがたの能力と献身にかかっています。
共和国は肉体的にも精神的にも強いエリートを要求しています。
それをつくるのはあなたがたなのです!

どんなに貧しくとも、社会の一員でさえあれば、のけ者にしてはならない。
過去において犯された罪の多くは無知に起因している。
国家は万人に尊重さるべき法律を公布している。
しかし国家は、同時に市民のひとりひとりに対し、その法律を読むことができるだけの
教育を施していなかったら、りっぱに職責をはたしているとはいえないのである。

どんなに貧しくとも、社会の一員でさえあれば、のけ者にしてはならない。
過去において犯された罪の多くは無知に起因している。
国家は万人に尊重さるべき法律を公布している。
しかし国家は、同時に市民のひとりひとりに対し、その法律を読むことができるだけの
教育を施していなかったら、りっぱに職責をはたしているとはいえないのである。

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戦争とは犯罪であり、殺人である。ー国家とその国民の命が危機に瀕している場合を除いては。