名言・語録一覧

悠久の大義に生きん若櫻
只勇み征く沖繩の空

悠久の 大義に生きん 若桜 只勇み征く 沖縄の空
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
松永篤雄 1

神風特攻隊 享年18歳

君がため死すべき秋(とき)に生れける
己が命など惜むべき

君がため 死すべき秋(とき)に 生れける 己が命 など惜むべき
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
都所静世 1

とどころ しづよ 旧海軍中佐 回天特攻隊員 昭和20年1月12日回天による特攻戦...

身はたとへいづくの空に果つるとも
君の御楯と散るぞうれしき

身はたとえ いづくの空に 果てるとも 君の御楯と 散るぞうれしき
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
宮内敬二 1

神風桜花特攻隊 昭和20年4月14日南西諸島方面に特攻戦死。享年21歳。

益良夫の怒ひとゝきに裂けてとぶ
特攻の轟(とどろき)火柱の海

益良夫の 怒ひとときに 裂けてとぶ 特攻の轟(とどろき) 火柱の海
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
宮崎勝 2

神風特攻隊員 昭和20年5月4日南西諸島方面にて特攻戦死。享年20歳。

水漬くも燃ゆるも何をか悔いざらん
君に捧げし命なりせば

水漬くも 燃ゆるも何をか 悔いざらん 君に捧げし 命なりせば
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
広森達郎 1

旧陸軍兵士 昭和20年3月沖縄にて特攻戦死。


    沖縄での地上戦開始前に行なわれた、陸軍武剋飛行隊(広森達郎中尉以下9名)の特攻です。結構有名でご存知の方もいると思います。が、この意味や意義を深く洞察して書いた文献の一節をご存知でしょうか。それは作家の伊藤正徳氏の『帝国陸軍の最後』全五巻のなかの第四巻の「特攻編」の中の文章です。ぜひ多くの方に知っていただきたいと、少し長いですが一部引用します。
    *以下引用
    日本が正式に航空戦(沖縄戦における)を開始する以前、偶然にも、沖縄本島に飛来した関東軍飛行隊の一部による「体当たり攻撃」が敢行された一戦を紹介しておこう。それは中尉広森達郎を長とする「武剋飛行隊」の九機であって、南西方面増援の第一陣として、(昭和20年)三月二十六日に沖縄本島に着陸したものであった。(目的地は台湾)
     三月二十三日、嘉手納海岸沖に現れた米国の艦隊は、威力偵察を目的とした第一陣であって、空母、戦艦等三十余隻から成り、艦砲射撃と爆撃とを連施して日本軍の反応を知ろうとつとめていた。航空参謀、中佐神直道は、この機会こそ敵艦隊に航空攻撃をくわえる作戦上の神機であると信じ、九州からの出撃を要請したが、兵力足らずして実現を得ず、ただ、適時、航空攻撃を指揮すべしという紙上命令だけを受けていた。そこへ、期せずして第二航空軍から台湾へ増派される武剋飛行隊の第一陣が途中着陸したのであった。
     神中佐は、その広森部隊だけでも投入して、眼前を遊弋中の敵艦隊に一撃をくわえ、彼の計画を第一日において攪乱したい衝動に駆られ、その夕、北飛行場に急行して、広森以下の九勇士と会合し特攻敢行の要請を述べて、彼らの意中をただした。精気横溢するも沈着の度を失わない青年将校広森達郎は、「やってみましょう」と簡単率直に答えた後、八名の部下を集めて静かに言い渡した言葉は次の通りであった。
    「いよいよ明朝は特攻だ。みないつものように俺について来い。そこでつぎのことだけは約束しておこう。今度生まれ変わったら、それがたとえ蛆虫であろうとしても、国を愛する忠誠心だけは失わぬようにしよう」
    一同は、「ハーイ」と声高らかに答えるのであった。なんという尊い一言であったろう。十時間の後には死んでゆく若人たちが、死んだ後も愛国の誠心を持ちつづけようとするその純正無垢の精神には、強気の神参謀も胸を突き刺されて、思わず涙を流してしましった。とその作戦日誌に認めている。筆者もまた、この一言は、日本の歴史のために書き残し、そうして本論の他の部分が消え去っても、この一言だけは残しておきたいと祈りつつこの戦記を書いている。
    国を愛する国民の心があって、国ははじめて独立もし、栄えても行く。それを失った国は表面の盛況はどうであろうとも、その瞬間から頽廃の歩を辿るのだ。その愛国心の要は、戦争と平時とを通じてなんら変わるところはない。広森が平和な今日に生きていたなら、おそらく愛国の若い詩人になっていたであろう。前記の短い一言は、それほど感銘的な印象を永くわれわれの心に刻むのである。
     広森たちは爆装も知らず、また、艦船攻撃の要領は何も教えられていなかった。特攻の議が決まると、一同は、「参謀殿、やり方を教えて下さい」と、言いながら、神中佐の膝もとに集まった。そこで神は(中略)〔やり方を〕詳細に説明し、夜半、後ろ髪を引かれながら北飛行場を辞した。翌二十七日黎明、牛島中将以下軍司令部の要員全部は、首里山上に集合して、武剋飛行隊の特攻を五千メートルの眼前に観望した。指示された発信時刻と寸秒の狂いもなく、三機編隊の三郡は、まず、首里山の真上に飛び、翼を振って別れを告げた後、西方海上に直角旋回して敵艦船群に突っ込んで行った。(後略)
    *出典は光人社平成10年刊行より
    今不況といわれる中でも、多くの人々は衣食住には不自由はありません。戦渦にも晒されてもいません。しかし、国の独立を維持するに不可欠の防衛費は年々削減、それに比例するかのように尖閣、竹島、北方領土等領土や国の安全は危殆に瀕しつつあります。また、政治家は国のためと言いながら保身的行動が目立ち、青少年のいびつな犯罪は(大人の一部も)の続発、先進国で突出して自殺者は13年連続3万人超え等々、今の日本は盛況そうに見えて確実に頽廃の歩を辿ってるようにしか見えません。著者は今の日本を見透かしたように広森中尉らの遺志、精神に学べ!愛国心を失うな!それが国の根本であるとの警鐘と日本人の覚醒を促しているのです。
    他にも、こうした魂を揺さぶるような至玉の言葉も散見できます。政治や教育など制度改革の運動も大切ではありますが、私たち一般の人々でも日々の生活のなかで、日本人としての誇りが甦り明るく元気が溢れでるような、特攻隊他の英霊の手記や遺書などを取り上げた良書を読み、国を愛する心を育む先人たちの言葉を、家族や友人など身近な人たちへ伝えて行くことは出来ると思います。そこから自分たちの住む町や地域から日本の再生復興への歩みは始まるのだと思います。直情的で纏まりのない文章で失礼しました。拝
    - 愛媛松山 S

    特攻隊他の英霊の手記や遺書をマスコミなどで大々的に取り上げないのは、世論において、やはりアメリカを刺激して、敵対関係になってはまずいという危機感が国家に働いているからだと思われます。
    また、アメリカの軍事的・経済的・文化的圧力そのものが一般人の知らないところで働いているからだと推測します。
    敗戦国である日本がアメリカに敵意を抱くのは当然の感情の流れだと思われます。
    だからこそ、そうさせないために、アメリカはあらゆる手段を駆使し、日本が戦後の自虐的な歴史観を受け入れさせました。
    日本のアメリカに対するテロや暴動が起こらないから、アメリカはきっと日本を支配できていると思い込んでいると思います。
    また、日本の現状に大変満足していると思います。
    勝っていると思っているはずです。
    もし、、日本の世論が愛国心を高め、自国に誇りを持ち、真の独立を勝ち取りたいと願うようになれば、曖昧なまま世論がまとまらないから保てていた外国との力関係が必ず問題視されます。
    すると、アメリカが困るのです。
    いやアメリカは大して困らないかもしれません。
    日本は外国との緊張関係を避ける道を選び、戦後の経済成長を果たし、福沢諭吉が待ち望んだ先進国の地位を築き、一応国家としての目的を達成しているのです。
    今のところ、安全で居心地がいいのではないでしょうか?
    日本は表面上は戦力を保持しない真に民主的で進歩的な憲法を持っていることを誇っているように見せかけています。
    でも、実は常に緊張関係を強いられる独立国であるよりも、徴兵制がなく、自殺しないかぎりは長寿が保証された国の在り方に安住しているのが多数派の意見ではないでしょうか?
    確かにアメリカに戦争で勝ったベトナムは国としてかっこいいと思いますが・・・
    雑感を述べました。
    論点が外れていたら申し訳ありません。
    特攻隊の英霊の精神は、社会に対して問題意識を持っている、いわば、敏感で目覚めている人であれば、平和な現在であっても心の中に常にあると思います。
    教えられなくても自然に備わるものだと考えますがどうでしょうか? - 夏みかん

咲く櫻風にまかせて散りゆくも
己の道ぞ顧みはせじ

咲く桜 風にまかせて 散りゆくも 己の道ぞ 顧みはせじ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
藤村勉 1

神風特攻隊 昭和20年4月6日沖縄方面にて特攻戦死。享年21歳。

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同期我ら深きえにしを尊みて
共にぞ固めん空のみたてを

同期我ら 深きえにしを 尊みて 共にぞ固めん 空のみたてを
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
古山圭三 1

旧日本兵士 昭和20年1月戦死。

このかばね炎となしつ大君の仇打ち拂(はら)わん時ぞこの時

このかばね 炎となしつ 大君の 仇打ち払わん 時ぞこの時
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
本多恵一 1

旧陸軍兵士 大宮市上空に散る

空ゆかば玉散る屍大君の
みたてとは散れのどには死なじ

空ゆかば 玉散る屍 大君の みたてとは散れ のどには死なじ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
前田光久 1

旧陸軍兵士 マニラ上空にて自爆戦死

君が代は千代万代とゆく春も匂ひ忘るな若桜花

君が代は 千代万代と ゆく春も 匂い忘るな 若桜花
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
棟方哲三 1

旧陸軍大尉 義烈空挺隊 昭和20年5月24日沖縄飛行場に強行突入後、戦死。

大君の御楯となりて天翔る南の空にたとひ散るとも

大君の 御楯となりて 天翔る 南の空に たとえ散るとも
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
村山光一 1

旧陸軍少尉 昭和19年12月20日フィリピン島にて戦死。享年21歳。

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君がため散れよと我を生みし我が母人の尊かりける

君がため 散れよと我を 生みし我が 母人の 尊かりける
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
本道幸男 1

旧陸軍伍長

大君の御旗の下に散つてこそ
日本男児の甲斐はありけり

大君の 御旗の下に 散ってこそ 日本男児の 甲斐はありけり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
中森孝敏 2

旧陸軍特攻隊 昭和20年1月8日フィリピンにて特攻戦死。享年24歳。拓殖大学出身...

生もなし死もなし吾が身わが心すめらみためと唯一筋に

生もなし 死もなし我が身 わが心 すめらみためと 唯一筋に
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
西村敬一 1

旧陸軍兵 昭和19年12月フィリピン島にて戦死。

君の爲盡せと育てし両親は
此世にも無き宝なりけり

君の為 尽せと育てし 両親は 此世にも無き 宝なりけり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
馬場洋 3

旧陸軍特攻隊 大尉 昭和20年4月9日沖縄方面に特攻戦死。


    私の祖父の弟です - 馬場史恵

    私の祖父の弟でもあります。 - 米倉滋門

    今の時代ですから色々意見はあるでしょうが、
    誰が何を言おうと私は生涯祖父の弟を誇りに思います。 - 米倉滋門い

忠の道考の道をも踏み得たる
我は天下の果報者なり

忠の道 考の道をも 踏み得たる 我は天下の 果報者なり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
馬場洋 3

旧陸軍特攻隊 大尉 昭和20年4月9日沖縄方面に特攻戦死。

身は例へ愛機もろとも碎くとも
打ちてし止まん七世に生まれて

身は例え 愛機もろとも 砕くとも 打ちてし止まん 七世に生まれて
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
馬場洋 3

旧陸軍特攻隊 大尉 昭和20年4月9日沖縄方面に特攻戦死。

みいくさの先鋒となり進む身の果つるはやすし大君の為

みいくさの 先鋒となり 進む身の 果てるはやすし 大君の為
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
蜂須次郎 1

旧陸軍兵士 昭和19年12月セレベス島にて戦死。

君のため命捧げんますらをが
討ちてしやまん國つ仇をば

君のため 命捧げんますらおが 討ちてしやまん 國つ仇をば
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
平田敏彦 1

旧陸軍兵 昭和19年9月マニラ湾にて戦死。

いざ行かん逆まく怒濤のり越えて
あだども討たん南に北に

いざ行かん 逆まく怒濤 のり越えて あだども討たん 南に北に
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
内藤善次 1

旧陸軍兵 昭和20年4月沖縄にて特攻戦死。

散る櫻殘る櫻も散る櫻
散つて護國の花と惜しまん

散る桜 残る桜も 散る桜 散つて護國の 花と惜しまん
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
中西達二 4

旧海軍中尉 神風特攻隊 昭和20年4月12日沖縄にて特攻戦死。享年23歳。

嵐吹けば蕾櫻も惜しからず
手(た)折りて捧げむ大君のため

嵐吹けば 蕾桜も 惜しからず 手(た)折りて 捧げむ大君のため
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
中西達二 4

旧海軍中尉 神風特攻隊 昭和20年4月12日沖縄にて特攻戦死。享年23歳。

仇(あだ)しふねうち沈めてぞ地獄なる鬼にあたへむわが手土産を

仇(あだ)しふね うち沈めてぞ 地獄なる 鬼にあたへむ わが手土産を
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
中西達二 4

旧海軍中尉 神風特攻隊 昭和20年4月12日沖縄にて特攻戦死。享年23歳。

すめろぎの大和島根よ安かれと南海深く身は沈みつつ

すめろぎの 大和島根よ 安かれと 南海深く 身は沈みつつ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
中西達二 4

旧海軍中尉 神風特攻隊 昭和20年4月12日沖縄にて特攻戦死。享年23歳。

この日をばかねて覚悟の重信が櫻花とは母も泣かなん

この日をば かねて覚悟の 重信が 桜花とは 母も泣かなん
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
中別府重信 1

神風特攻隊員 昭和20年4月16日沖縄方面にて特攻戦死。