宇垣纏 11

1890年2月15日 - 1945年8月15日
日本の海軍軍人。海兵40期。最終階級は海軍中将。陣中日記『戦藻録』が有名。...-ウィキペディア

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惜しみても返らぬ花の面影を戰さ半(なかば)に忘れ得も勢(せ)ず

惜しみても 返らぬ花の 面影を 戦さ半(なかば)に 忘れ得も勢(せ)ず
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

常夏の花とりどりに手折來て君が御靈(みたま)に今日ぞ捧げん

常夏の 花とりどりに 手折来て 君が御靈(みたま)に 今日ぞ捧げん
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

武夫(もののふ)の行くとふ道を行ききはめ
七度生れ勝たで已むべき

武夫(もののふ)の 行くとう道を 行ききわめ 七度生れ 勝たで已むべき
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

玉と散り瓦と飛ぶもおなじかし
誠一途に國思ふ身は

玉と散り 瓦と飛ぶも おなじかし 誠一途に 國思う身は
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

大君の御楯と誓ふ武夫(もののふ)を
七世こめて勝たで已むべき

大君の 御楯と誓う 武夫(もののふ)を 七世こめて 勝たで已むべき
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

春來なばまた咲き出てむ姥櫻散りて甲斐ある花にしあらば

春来なば また咲き出てむ 姥桜 散りて甲斐ある 花にしあらば
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
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散るべきに散らざる花はいとへども
吾ながらへて仇ぞ打ちてむ

散るべきに 散らざる花は いとえども 我ながらえて 仇を打ちてむ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

夜もすがら宿直(とのゐ)の看護(みとり)うけ
夜半の調べはながかりにけり

夜も すがら宿直(とのい)の 看護(みとり)うけ 夜半の調べは ながかりにけり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

皆人の憩ふ時なり我が用は
弓手ことたる範(のり)にとどめり

皆人の 憩う時なり 我が用は 弓手ことたる 範(のり)にとどめり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

南北の氣圧配置に心して
我が取る道をあやまるなゆめ

南北の 気圧配置に 心して 我が取る道を あやまるなゆめ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
真珠湾奇襲の際、空母赤城にZ旗を掲げて。

皇国の興廃繋りて此の征戦に在り、粉骨砕身各員其の任務を全うせよ

上記の通り、真珠湾奇襲の際にZ旗を掲げての、宇垣参謀長の訓示
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