ウォルト・ホイットマン 29

1819年5月31日 - 1892年3月26日
ウォルター・ホイットマン (Walter Whitman, 1819年5月31日 – 1892年3月26日) はアメリカ合衆国の詩人、随筆家、ジャーナリスト、ヒューマニスト。超越主義から写実主義への過渡期を代表する人物の一人で、作品には両方の様相が取り込まれている。アメリカ文学において最も影響力の大きい作家の一人でもあり、しばしば「自由詩の父」と呼ばれる。発表当時の作品に対する評価は大きく割れ、特にその代表作の詩集...-ウィキペディア

我あり、あるがままにて十分なり

「感想」より

寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る

「草の葉」より

    「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを知る。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。」
     このホイットマンの詩の中で,生命という文字はなんて読んだらいいのかな? (せいめい)または(いのち)のどちらか教えてください。辞書だと(せいめい)ですが・・・。 - etc

    寒さに震えても、心が温かくなくて、卑しい品性の持ち主もたくさんいますよ。 - 銘無き石碑

最善のことを言うよりももっと善いことは、つねに最善のことを言わずにおくことである。

http://blogs.yahoo.co.jp/toynwalt
ホイットマンの箴言
「寒さにふるえたものほど・・・・・」 という言葉は、ホイットマンのでは
ありません。 間違って流布しているようですが。

君が教訓を学んだ相手は君を賞賛し、
親切をほどこし、味方になってくれた人々だけだったのか?
君を排斥し、老村した人々からも大切な教訓を学ばなかったのか?

寒さにふるえた者ほど太陽をあたたかく感じる。
人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。

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若い女は美しい、
しかし老いた女はもっと美しい。

私は除外例を作らない
赤人種でも、白人種でも、黄人種でも、
すべて神らしいのだ。

あなたは 何から何まで与えてくれるが、わたしたちはよく知っている、
あなたなしではすべてのものが、どんなものでも、
・・きょうここにあるどんなものでも危うくなり、
何ごとであれ、どんな日であれ、危うくなる。

あなた神聖な女よ、生命と愛との、そして生命と愛から生まれるすべてのものの
主人であり源泉であるあなたよ、

君と君の魂は評価なんかにこだわらず、あらゆるものを包みこむのだ、
それらのなかにこそ良き発展が
それらのなかにこそすべての主題、暗示、可能性が。

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君がたとい誰であれ、動きも影もその君のためにあり、
聖なる船も君のために聖なる海を進んで行く。

男も女も一人びとりがおのれ自身に過去と現在を伝える言葉、

愛は愛する人のためにあって、ほとんど全部愛する人にもどってくる、

誓って言うが、みずから完璧となる彼や彼女が相手なら、
地球もきっと完璧になってくれる、
いつまでもぎざぎざのまま、切れぎれのままでいる彼や彼女が相手のときは、
地球もやっぱりぎざぎざで切れぎれのまま。

地球のそれに負けじと競わぬ、そんな偉大や力強さがあるものか、
地球の理論が確証できないそんな理論は取るに足りない、

地球の豊かさと肩を並べぬそんな政治、歌、宗教、振舞いなんか、
地球の活力、正確、不偏、廉直、これらの美徳に面と向き合えぬものなんか、
誓って言うが、取るに足りない。

ぼくには見えるどこの国であれ大義のためにいのちを落とした人びとが、

むだなお喋りなんかやめにして君のことだけ語ればよかった、
君のことだけ歌えばよかった。

わたしが行なうのは義務だからではない、
人が義務として行なうものを、わたしはいのちの衝動として行なっている、

ただ彼ら自身だけが彼ら自身を、そして彼ら自身の同類たちを理解する、
ちょうど魂だけが魂を理解するように。

過去と現在の双方が今や役目を交代し、
今はわたし自身が結びの神、偉大な未来の歌い手として発言中だ。

何であれおのれの持場をはずれたものは善ではなく、
何であれおのれの持場を守るものは悪ではない、

完璧で自由な個人という理念、
この偉大な「理念」のために、
そのためにこそ、詩人は先頭を歩く先導者たちの先導者だ、

人びとが言葉を惜しまず讃えるのは行動の人、愛の人、充足させてくれる人、
確実な知識の持ちぬしばかり、