ミシェル・ド・モンテーニュ 94

1533年2月28日 - 1592年9月13日
16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者。モラリスト、懐疑論者、人文主義者。現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた主著『エセー』は、フランスのみならず、各国に影響を与えた。...-ウィキペディア

我なにかを知る。

自分の召使に崇拝される人は少ない。

私は自分ひとりのために生れたのではない、
公衆のために生れた。

そしてようやくのことで、
悲しみは、その声に道を譲ったのだ。

小さな悲しみは口に出せるが、
大きな悲しみは口をつぐむ

死んでみないと、だれだって、
あの人は幸福だったとはいえない

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動きまわれるうちは、われわれは、
あれこれ思い描いて、好きなところに
自分を運んで行く。

人間というのは、生命を根っこのところから
引っこ抜いて、ぽんと投げ出すようなことは、
まずしない。

人は異なる手段で、同じような目的に到達する

わたしは、悲しみという感情を
もっとも知らない人間に属している。

この感情を好きでもないし、それに重きをおいてもいない。

悲しみという感情
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われわれは自分のところになど
絶対におさまってはいないで、
いつでもその先に出て行くのだ。

われわれが本当に感じたことを表明することを拒むのは、
道理にあわない。

この世は絶え間のないシーソーだ。

運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。
ただその素材と種子を提供するだけだ

魂の価値は高くのぼっていくことにあるのではなく、整然と進んでいくことにある

地上の泥のなかをのたうちまわってはいても、わたしは、いくつもの偉大な魂がまねできないほどの高さにあるのを、雲の行きかうあたりにまで目をやって、はっきり認めないではいない。

この世界は、探究の学校にほかならない。
肝心なのは、だれが的にあてるかではなく、
だれがもっともみごとな走り方をするのかなのだ。

幸なるかな、天の流転に従いて静かに流転する人々。