特攻

散る桜よくぞ男に生れける

出撃の命下る 散る桜 よくぞ男に 生れける
白鳩遺族会編河出書房版 雲流るる果てに より。
及川肇・遠山善雄・福知貴・伊熊二郎合作集 100

神風特攻隊 及川肇・遠山善雄・福知貴・伊熊二郎の合作集。全員23歳にて昭和20...

この土のつらなる果てに母ありて明日の壯擧の成るを祈るらん

この土の つらなる果てに 母ありて 明日の壮挙の 成るを祈るらん
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
西田高光 3

旧海軍中尉 神風特攻隊 昭和20年5月11日南西諸島にて特攻戦死。享年23歳。

特攻は統帥の外道である。

大西瀧治郎 2

旧日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。兵庫県氷上郡芦田村(青垣町を経て現在は丹波...


    心ではそう思っていても周りの状況でせざるを得なかったのだろう… - 銘無き石碑

    この人特攻作戦を指揮したとして自分で切腹して自殺したからなぁ・・・本当はいやだったのだろう。 - 銘無き石碑

    ありがとう
    - 神

海山の親の御恩を大君に捧げ盡して天翔け征かん

海山の 親の御恩を 大君に 捧げ尽して 天翔け征かん
盡=尽
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
松井浩 1

旧陸軍中尉 特攻隊 昭和19年12月5日レイテ湾にて特攻戦死。享年24歳。

善きことのみを念ぜよ、必ず善きこと来る。

鳥濱トメ 1

鹿児島県の食堂経営者。川辺郡知覧町(現南九州市知覧町郡104)で「富屋食堂」を営...-ウィキペディア

末遂に海となるべき山水もしばし木の葉の下くぐるなり

末遂に 海となるべき 山水も しばし木の葉の 下くぐるなり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
仁科関夫 6

日本の海軍軍人。海兵71期。太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、人間魚雷「回天」を創...-ウィキペディア

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戦友は征く我も又征く大君の御楯とならん生きて還らじ

戦友(とも)は征く 我も又征く 大君の 御楯とならん 生きて還らじ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
小野正明 2

回天特攻隊員 昭和20年5月27日沖縄方面にて人間魚雷「回天」にて特攻戦死。享年...

敷島の大和櫻と咲きにしをあたりて砕け潔く散りなむ

敷島の 大和桜と 咲きにしを あたりて砕け 潔く散りなむ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
小野正明 2

回天特攻隊員 昭和20年5月27日沖縄方面にて人間魚雷「回天」にて特攻戦死。享年...

たらちねの心のままに梓弓 今ぞ出撃夷艦砕かん

たらちねの 心のままに 梓弓 今ぞ出撃 夷艦(いかん)砕かん
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
高久健一 1

神風特攻隊員 昭和20年3月11日敵艦隊に突入し特攻戦死。享年22歳。東北大学出...

海征かば水漬く屍と聞くものを空征く我は白雲と散る

海征かば 水漬く屍と 聞くものを 空征く我は 白雲と散る
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
中瀬清久 1

神風特攻隊員 昭和19年10月25日特攻にて戦死。享年19歳。

夜見の國は暗しと聞けり道連れに敵三千を引率れ行かん

夜見の國は 暗しと聞けり 道連れに 敵三千を 引率れ行かん
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
柏木誠一 1

神風特攻隊員 昭和20年4月6日沖縄にて特攻戦死。享年26歳。

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わがあとにつゞかんものは數多し堅く信じて特攻は征く

わがあとに つづかんものは 数多し 堅く信じて 特攻は征く
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
澁谷健一 1

特攻隊員 昭和20年6月11日沖縄にて特攻戦死。

敵見ゆと初電は入りぬ基地は今爆音天と地とに轟く

敵見ゆと 初電は入りぬ 基地は今 爆音天と 地とに轟く
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
板橋泰夫 11

神風特攻隊員 昭和20年8月9日沖縄にて特攻戦死。享年21歳。

黄昏の影踏み集ふ食卓に伏せたる椀の多くあるかな

黄昏の 影踏み集ふ 食卓に 伏せたる椀の 多くあるかな
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
板橋泰夫 11

神風特攻隊員 昭和20年8月9日沖縄にて特攻戦死。享年21歳。

焼きつくる翼に立ちて轟沈と破顔一笑戰友は征きたり

焼きつくる 翼に立ちて 轟沈と 破顔一笑 戦友(とも)は征きたり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
板橋泰夫 11

神風特攻隊員 昭和20年8月9日沖縄にて特攻戦死。享年21歳。

亡き数に入らせし戰友のみ名連ね正行のごと我も征かばや

亡き数に 入らせし戦友(とも)の み名連ね 正行のごと 我も征かばや
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
板橋泰夫 11

神風特攻隊員 昭和20年8月9日沖縄にて特攻戦死。享年21歳。

おもかげはさやかに顕てり今は早や神鎭まれる戰友にしあれど

おもかげは さやかに顕てり 今は早や 神鎮まれる 戦友にしあれど
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
板橋泰夫 11

神風特攻隊員 昭和20年8月9日沖縄にて特攻戦死。享年21歳。

降り立てば故障ありやと飛び付ける整備課員に首下りぬ

降り立てば 故障ありやと 飛び付ける 整備課員に 首下りぬ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
板橋泰夫 11

神風特攻隊員 昭和20年8月9日沖縄にて特攻戦死。享年21歳。

ひむがしの空ほのぼのと白み來て夜間整備は今終れりと聞く

ひむがしの 空ほのぼのと 白み来て 夜間整備は 今終れりと聞く
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
板橋泰夫 11

神風特攻隊員 昭和20年8月9日沖縄にて特攻戦死。享年21歳。

洞窟にしたたる水を水筒に今宵夜襲へ兵は出で立つ

洞窟に したたる水を 水筒に 今宵夜襲へ 兵は出で立つ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
板橋泰夫 11

神風特攻隊員 昭和20年8月9日沖縄にて特攻戦死。享年21歳。

軍艦旗はいづくぞと問ふ兵の深傷の声に起きて坐りぬ

軍艦旗は いづくぞと問ふ 兵の 深傷の声に 起きて座りぬ
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
板橋泰夫 11

神風特攻隊員 昭和20年8月9日沖縄にて特攻戦死。享年21歳。

今宵又敵の戰車に地雷抱き体当たりせし兵のありしと

今宵又 敵の戦車に 地雷抱き 体当たりせし 兵のありしと
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
板橋泰夫 11

神風特攻隊員 昭和20年8月9日沖縄にて特攻戦死。享年21歳。

血汐もて茜と染むも悔ゆるまじ雲のねぐらの空の御楯は

血潮もて 茜と染むも 悔ゆるまじ 雲のねぐらの 空の御楯は
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
板橋泰夫 11

神風特攻隊員 昭和20年8月9日沖縄にて特攻戦死。享年21歳。

とても世に逢ひ見むことの難ければ夢こそ今は頼みなりけり

とても世に 逢ひ見むことの 難(かた)ければ 夢こそ今は 頼みなりけり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
遠藤益司 2

神風特攻隊員 昭和20年4月6日沖縄方面にて特攻戦死。享年23歳。日本大学出身。

春されば祖國の櫻に魁けて咲いて笑って散る吾が身かな

春されば 祖國の桜に 魁けて 咲いて笑って 散る我が身かな
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
遠藤益司 2

神風特攻隊員 昭和20年4月6日沖縄方面にて特攻戦死。享年23歳。日本大学出身。