憐憫はあらゆる道徳律者の基準である。

「道徳の基準」より
アルトゥル・ショーペンハウアー

アルトゥル・ショーペンハウアー 91

1788年2月22日 - 1860年9月21日
ドイツの哲学者。主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)。 仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽くした思想家であり、その哲学は多くの哲学者...-ウィキペディア


寄せられたコメント(2)


    憐憫は慈悲 人間の我欲を発展させると道徳になり道徳律になる 我欲少なく道徳多ければ 問題 我欲多く道徳少なければ 問題 - サイチョウ

    ??? 言ってる意味が・・・・。 ショーペンハウアーの言っている道徳は、一般の道徳とは違う。 もっと根本的な人間の在り方のこと。 「仁義仁義と人が騒ぎ立てるのは、無為自然の大道が無視され、作為が世を支配するようになってからだ。 大きな虚偽が生まれたのは、知の限界が忘れられ、人間のさかしらがのさばりだしてからだ。 孝や慈という徳目が説かれだしたのは、自然の情愛が失われてからだ。 忠臣なるものが現れたのは、無為の政治がうち捨てられて、国家が乱れはじめてからだ。」                ~老子~ 世の賢人の言っていることは皆同じ。 頭でこざかしく考えるでない 知の限界を超えよ 無為自然=これをいかに考え、どうとらえるか 知識では無理 考えでは無理 そこに辿り着きたい 一心なる情熱と努力と経験の中にこそある。 血のにじむ努力、経験の中で得るしか、真実に辿りつく方法はない。 その中でこそ、本物の、生き生きとした 「神 真理 愛 無為自然」 という花が咲く 頭は腐った記憶の倉庫だ。 すでにあるものしかない。 - 銘無き石碑

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