「第一部 フィレンツェで考える」

時代の区分とは、ある時点で線を引いて、
ここまでは中世でこれより後は近代、と断定できるものではないのです。

塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫,2008)66p
塩野七生

塩野七生 701

生 1937年7月7日
日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来。...-ウィキペディア


寄せられたコメント(1)


    この考え方に賛成です。特に中世、近世、近代、現代という用語は、各国地域によってもその時代の考え方が異なります。ということは、近代を構成する何らかの要素・事象がそれを規定するためではないでしょうか?ですから、その要素・事象が続く限りにおいて、その時代は終わりえない。しかし、新たな事象が出てくるとまた新しい時代区分を称する言語が必要となってくるということではないかと考えられます。 - ジャラン

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