幡随院長兵衛 2

元和8年(1622年) - 明暦3年7月18日(1657年8月27日)) 江戸時代の町人。

  • 2件を表示
旗本水野十郎左衛門の屋敷に死を覚悟でのりこんで、相手の槍の刃先に胡坐をかいての切り口上。

‥‥‥たとえば県下は両成敗、そっちへ響きが行ったならば小脇に掻い込む槍よりか、
八千石の知行所を棒に振らざあなるめえぜ、その気でおれを殺さっせえ

百年生きるも水子で死ぬも、持って生まれたその身の定業、
卑怯未練に人手を借りずこなたが初手からくれろと言やあ、
名に負う幕府のお旗本八千石の知行取り、
相手にとったて不足がねえから、綺麗に命を上げまする。

「極付幡随長兵衛」より。