まど・みちお 18

1909年11月16日 - 2014年2月28日
日本の詩人。25歳のときに北原白秋にその才能を認められ、33歳のときには太平洋戦争に召集された。詩作りは20代から始め、以来生涯にわたって詩を作り続けた。創作意欲の源は、政治・行政・教育・経済・戦争などに対する不満である。「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」などの、そのおおらかでユーモラスな作品は童謡としても親しまれている...-ウィキペディア

  • 18件を表示

ちがっても仲良くしようではなく
ちがうから仲良くしよう

ぞうは、素晴らしい。

ぼくはあまり本も読まずにすごしてきました。
でも、本でないもの、
まわりにあるいろいろなものが本みたいでした。

ほかの人にとっての常識が、
私にとっては、はっとするような発見なのです。

私は人間の大人ですが、
この途方もない宇宙の前では、
何も知らない小さな子どもです。

何かに対してハッとしたら、自分で考え続けます。
これは何だろう、どうしてこのようなものがあるんだろう、
どうしてこうなんだろう、と。
追求せずにはいられない。
そこから詩が生まれるんです。

広告

小さければ小さいほど、それは大きなモノになる。

なんでもないものの中に、こんなに素晴らしい内容があったのかと、
そんな驚きを感じることが、詩を書く心、絵を描く心です。

私たちがアートと言い慣らしているものの全ては、
そうした感情につき動かされて生み出されたものだと思うのです。

子どもはほんとに言葉の天才です。
むろん知っている語彙は少ないのですが、その少ない言葉を自由自在に、
しかも的確に操るのです。

詩は、それが子ども向けであっても、
子どもを意識して作ると迎合してよい作品はできません。
・・やさしく書けば退屈します。
やさしい中にカチっと歯が立つものがないと。
それを子どもが自力でかみ砕いていく。

広告

子どもだって人間。同じ「人間」の部分で仕事をすれば、
相手の心に響かないはずはありません。
子どもが一生懸命考えて「ああ、これだ!」と分かるような難解さがあることが、
本当に「やさしい」ことだと思うのです。

私の書くものなどは、たかが知れてることは自覚しとります。
ですが、同じことを二度言うなよ、人のマネをするなよ、と。
そのことは絶対に忘れないよう、よく自分に言い聞かせています。

人間はモノを一方的に作って、めちゃくちゃに使っている。
だからモノに対して私は負い目を感じ、
いくらでも詩が書けるんです。

言葉の響きを大切にしたい。
言葉は、意味だけでなく響きも人間の大きな財産なんです。
しかも意味より、響きとの付き合いの方が長い。
耳を持って以来ですからね。

園芸植物は、野生の植物を人間が自分の好みに合わせて作ったものですから、
植物にとっては、かわいそうなことだし、堕落でもあるんです。
それに比べて、どこにでも見られる、葉っぱのとがったイネ科の草は、
人にこびたところが全然なくて、自分勝手に生きてるでしょ。
飾りみたいな、きれいに見えるようなものは何もないんです。
なんともいえない、いい感じですね。

マンネリであっても、マンネリの中にマンネリでないものを見つけ出すのが、
おれが生きているという証拠になるなと、そう思います。

言葉自身が遊びたがっているところが
あるように思えるんです。
それに乗っかって書くと、すごくいい言葉が生まれる。