0 コメント数 シェア というわけで、いよいよ問題の核心、わたしがなぜ日記をつけはじめるかという理由についてですけど、それはつまりそういうほんとうのお友達がわたしにはいないからなんです。 1942年6月20日
0 コメント数 シェア 親愛なるキティーへ日曜の朝からいままでに、何年もたってしまったような気がします。いろんなことが起こって、まるで世界じゅうがひっくりかえったみたい。 1942年7月8日(隠れ家へ)
0 コメント数 シェア 親愛なるキティーヘこれはエイプリルフールじゃありません(日付けにご注意)。その反対です。「不幸は重なるものだ」ということわざ、これがきょうほど身にしみたことはありません。 1943年4月1日
0 コメント数 シェア そしてなおも模索しつづけるのです、わたしがこれほどまでにかくありたいと願っている、そういう人間にはどうしたらなれるかを。きっとそうなれるはずなんです、もしも・・・・・・・・この世に生きているのがわたしひとりであったならば。 1944年8月1日(ふたりのアンネ)
0 コメント数 シェア 人間って、どうしていつもほんとうの気持ちを隠そうとするのか、あなたにはそれがわかりますか?どうしてわたしは人前に出ると、本心とはまるで裏腹な行動をとってしまうんでしょうね? 1944年1月22日
0 コメント数 シェア ぜひわかっていただきたいのは、この良いほうのアンネを知るひとはひとりもなく、そのため、たいがいのひとがわたしを、我慢のならないでしゃばりだと思っていることです。 1944年8月1日(ふたりのアンネ)
0 コメント数 シェア 親愛なるキティーへ「ショックにつぐショック。はたしてこれが種切れになることがあるんだろうか」正直な話、こんな疑問を自分たち自身につきつけたくなります。まああててごらんなさい、いちばん新しいショックがどんなものだったか。 1944年4月15日
0 コメント数 シェア パパの散髪はわたしの役目です。お前はとても上手だから、戦争が終わっても、ほかの床屋にはもう行かない、とピムは言い張っています。そうちょくちょく耳を切りさえしなければ、もっといいんですけど! 1943年3月12日
0 コメント数 シェア たとえたくさんの人に愛されていても、人間は寂しくないとはかぎりません。愛されてはいても、それだけではだれにとっても、‘唯一無二の存在‘にはなりえないからです。 1943年12月26日 1 タグ
0 コメント数 シェア ところでわたしは、‘やかましすぎる‘とか言われて、日中やたらに「しーっ、しーっ」と制止されていますが、それだけじゃまだ足りないみたいに、わたしと寝室を共有している紳士は、最近では夜になってまで、「しーっ、しーっ」を連発します。 1942年12月22日
0 コメント数 シェア 親愛なるキティーへたぶんあなたにはおもしろいでしょうから(わたしにはちっともそうじゃありませんけど)、きょうはわたしたちがこれからなにを食べようとしているかをお話しましょう。 1944年3月14日(腐った野菜)
0 コメント数 シェア アンネは日記帳に「キティー」と名前をつけて、家族のこと、友だちのこと、自分自身のことなどを「キティー」に宛てた手紙として記すようになりました。「キティー」はアンネにとって、「心の友」でした。
0 コメント数 シェア もしかすると、わたしだけを特別な目で見てくれたと思ったのは、こちらの思い過ごしだったのかもしれない。ああペーター、どうかあなたにわたしのこの姿が見えますように。心の声が聞こえますように。 1944年2月19日
0 コメント数 シェア はっきり言ってしまうと、わたしはちっともマルゴーみたいになりたくなんかないんです。わたしから見れば、あんまり消極的すぎるし、おとなしすぎますから。何事も他人の言いなりで、けっして我を通そうとしません。わたしはもっと強い性格になりたい! 1943年2月5日
0 コメント数 シェア もっとも、うちの両親はたいがいの親とちがって、成績が良くても悪くても、あまり気にしません。わたしが健康で、幸福で、それであまり生意気でさえなければ、それで結構、あとはどうにかなるという主義です。でも、わたし自身はその逆です。劣等生になりたくはありません。 1942年7月5日