0 コメント数 シェア 重要なのは自分の生きるよすがとなったものがどこかに残っているということだ。さまざまな慣習でもいい。家族の祝いごとでもいい。思い出を秘めた家でもいい。重要なのは還ることをめざして生きるということだ 『ある人質への手紙』より 6 タグ
0 コメント数 シェア 私にとって重要なのは、彼が人間であるか、あるいは人間以下か、ということなのだ。私はまずもって、その人間が幸福であるか否かを問わず、いかなる人間が幸福であるかを問う。飽食した坐食の徒の豪奢は、家畜小屋の動物と同様、私にとって重要ではない。 『城砦』より 6 タグ
0 コメント数 シェア けっして私は、肥太る種族に心を用いることはない。私が己に課する問いは、人間が幸福であり、富み栄え、しかるべく守られているかどうかということではない。なによりもまず、私が自らに問うのは、いかなる人間が栄え、守られ、幸福であるか、ということだ。 『城砦』より 6 タグ
0 コメント数 シェア 対立するものなど、決して存在しない。死といい生というも、舌を出して争いあう言葉に過ぎぬ以上、やはりお前は、お前の生命を投げ出させるものによってしか生き得ないのだ。死を拒否する者は、生命をも拒否する。お前を越えるものが何もないならば、お前が受けるものもまたない。あるとすれば、おまえ自身から受けるものに他ならない。だが、空しい鏡から何を引き出すというのか? 『城砦』より 8 タグ
0 コメント数 シェア 秩序とは、生命の結果であって、その原因ではない。秩序とは、ある強力なる都市のしるしではあるが、その起源ではない。 生命と、熱情と、あるものに向かう心の傾きとが、秩序を創造する。しかし、秩序は、生命をも、熱情をも、あるものに向かう心の傾きをも創造することはない。 『城砦』より 10 タグ
0 コメント数 シェア 彫刻家にとって、口なり、鼻なり、あるいは顎なりを彫り刻むことが問題になっているとでも思っているのか?とんでもない思い違いだ。これらの各部分が互いに奏でる共鳴のみが問題なのだ。そして、その共鳴は、たとえば、人間の苦悩を現すものになるだろう。かつまた、その共鳴は、お前の耳に伝わることが出来る。なぜなら、個々の事物ではなく、それらを結び合わせる結び目とお前は交わることになるのだから。 『城砦』より 5 タグ
0 コメント数 シェア 彫刻家は心に宿した作品ゆえに重い。どのように捏ね上げるかを知らなくても、そんなことはどうでもいい。親指の動きを繰り返し、過誤に過誤を、矛盾に矛盾を重ねながら、粘土を通じて、まっすぐに己の創造へと歩んでゆくだろう。知性にしても、判断力にしても、創造者ではない。彫刻家が知識と知性に過ぎないならば、彼の手は天才に欠けるに違いない。 『城砦』より 7 タグ
1 コメント数 シェア が、ばらばらになった世界のなかに、ひたすら彼の天分の力によって、新しい面ざしを彫り刻み、人々がその方に眼を向け、それを知るように強制することができるだろうか?さらにまた、それを知ることによって、それを愛させることができるだろうか?これはけっして、論理家の仕事ではなく、創造する者、彫り刻む者の仕事である。おそらく、その者のみが、おのが弁明を要せぬ大理石に挑んで、そのなかに、愛を目覚めさせる力を刻み込むのである。 『城砦』より 5 タグ 作家のDNAが震えている - 銘無き石碑 2013-06-29 07:10:10 UTC
1 コメント数 シェア 手に入れたものによってと同様、失ったことを惜むもの、手に入れたいとのぞむもの、喪失を嘆くものによっても、導かれ、授乳され、成長させられる 『サン=テグジュペリの言葉』より 5 タグ 授乳 マザコン - 銘無き石碑 2019-09-30 00:31:26 UTC