藤田徳太郎 11

1901年11月1日 - 1945年6月29日
国文学者。 山口県下関市出身。第五高等学校、東京帝国大学卒。浦和高等学校教授。佐佐木信綱に師事し、和歌をやり、日本の歌謡を研究。戦時下、国粋主義的になり、愛国百人一首の選定に当たったが、敗戦前に下関空襲により死去。...-ウィキペディア

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いさぎよく櫻の花やますらをの大和心に咲きにほひけり

いさぎよく 桜の花や ますらおの 大和心に 咲きにおいけり
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

國の道あきらめませし巨き大人(うし)の
高くたふとき御教ぞけれ

國の道 あきらめませし 巨き大人(うし)の 高くとうとき 御教ぞけれ
「平田篤胤の國學」の校正終了時
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

國つふみ明らめませし大人(うし)たちのみ靈(たま)かよひてみちびき給へ

國つふみ 明らめませし 大人(うし)たちの み靈(たま)かよいて みちびき給え
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

鈴屋(すずのや)のこれの家ゐにわれら今心つつしみだしすわれり

鈴屋(すずのや)の これの家いにわれら今 心つつしみ だしすわれり
本居宣長生家で詠む
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

この小さき部屋ぬちにしてひたすらにまことの道を聞きたまへる

この小さき 部屋ぬちにして ひたすらに まことの道を 聞きたまえる
本居宣長生家で詠む
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

こゝろざし未だに遂げなく倒れにし大人(うし)が心の思ひあへめや

こころざし 未だに遂げなく 倒れにし 大人(うし)が心の 思いあえめや
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
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國を思ふ赤き心は一つなり
死にゆくものも生き殘る身も

國を思う 赤き心は 一つなり 死にゆくものも 生き残る身も
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

たけ低く厚さの太きみ墓石
すわりよろしく鎭まりゐます

たけ低く 厚さの太き み墓石 すわりよろしく 鎮まりいます
平田篤胤の奥津城に詣で
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

梅が枝の強くきびしき心もて
益良男(ますらを)吾は生きむとぞ思ふ

梅が枝の 強くきびしき 心もて 益良男(ますらお)我は 生きんとぞ思う
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

わがどちが心こめたる新刷のこの「ひむがし」よ手(た)むだきて讀む

わがどちが 心こめたる 新刷の この「ひむがし」よ 手(た)むだきて読む
ひむがし・・影山正治氏主催の歌道誌
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。

おほけなく世にありふれどひたすらに
神ながらなる道を畏(かしこ)む

おほけなく 世にありふれど ひたすらに 神ながらなる 道を畏(かしこ)む
大東亜戦争殉難遺詠刊行会出版 大東亜戦争殉難遺詠集(絶版)より。
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