俳優
俳優が歌を歌っているんじゃないんです。
中村雅俊という俳優がいて、中村雅俊という歌手がいて、という意識。
“歌は洒落でやってんだよ”みたいなエクスキューズはありません。
web R25 ロングインタビュー(r25.yahoo.co.jp)より
中村雅俊
5
1951年2月1日生まれの歌手、俳優
人生って失敗するときも多々あるよね、と。
それをどう考えればいいかというと“最後に笑えればいいんじゃない?”っていう。
その方が楽なんですよ。
3回失敗しても4回目に成功したら、その3回分って大した問題じゃないわけでしょ。
中村雅俊
5
1951年2月1日生まれの歌手、俳優
若いときって、暗闇に向かって突き進んで“結果はまあいいや”って思うところもあるでしょう。でも長く人生をやってると、客観的に自分のことが見えてくる。
だいたいの結果が導き出せても、
それでも突き進んでいかなきゃならないときもある。それをどうすりゃいいんだろうね…
中村雅俊
5
1951年2月1日生まれの歌手、俳優
僕の仕事って、まず楽しむという姿勢がない限り、いいものにはならない。
疲れ切っててこなす感じになると絶対にダメです。
ワクワクしそうにない仕事はする必要はない。
ギャラがいいとか、この監督とは知り合っておいた方がいいとか、
世間的に評価が高いからとか、関係ない。
堤真一
1
1964年7月7日生まれの俳優
僕が勝手に感じたんですが、
清順さんはたぶん役者も撮影道具のひとつとしか思ってないんですよ。
風景があって。その前に人間が立っていて。それだけでいいんですよね、きっと。
web R25 ロングインタビュー(r25.yahoo.co.jp)より
鈴木清順監督について
鈴木清順監督について
好きな人のために自分ができることをしてあげたい
単純に言うと“映画は監督のものなんだな”と思えたんですね。
役者は結局、その監督が作りたいものに対して手助けをするのが
いちばんいい距離の取り方なのかもということに気がついたんですね。
迷いは進化の入口だと信じてる。
web R25 ロングインタビュー(r25.yahoo.co.jp)より
そして、もがける余地がある…からこそ、面白く生きていけるんじゃないかなと思っています。
そして、もがける余地がある…からこそ、面白く生きていけるんじゃないかなと思っています。
相手も、仕事の環境も、
自分の人生をデザインしていくための材料にしたいし、私のこともそう思ってもらいたい。
自分自身は冷めた存在でいながら、相手のことは拒絶しないのが理想ですね。
できるだけ熱い人間に近づき、冷めた自分と混ぜてちょうどいい温度になるみたいなね。
web R25 ロングインタビュー(r25.yahoo.co.jp)より
願わくばお互いに生かし生かされる関係ができればと。
願わくばお互いに生かし生かされる関係ができればと。
いつも内側で爆発したい、突き抜けたいという欲求があるんですよ。
私は形から入るんです。まずは肉体に言い聞かせ、無理のない形を整える。
器が決まれば、心も入れやすく、佇まいも見えてくるだろうと。
あとは現場に立ったとき何に気づけるか、という最後の賭けを残して臨むわけです。
役を演じるとき、最終的にいちばん必要なのは心ですよね。
形が見えない心をどれだけ表現できるか
…それが“役者が画面からはみ出せるか否か”“ちゃんとお客に刺さるか否か”
を決める重要な部分だと思っています。
こだわりは持たなければいけないものだと思っていた。今思えば、哲学や美学のような
自分ならではのものがないといけないという思い込みであわてて作った、
中身が空っぽのハリボテみたいなこだわりだったのだけど。
仲村トオル
3
1965年9月5日 - 日本の俳優
太平洋の向こう側から見ていた“山”はとてつもなく高いことを、麓に行って気がついた。
web R25 ロングインタビュー(r25.yahoo.co.jp)より
海外での仕事について
海外での仕事について
仲村トオル
3
1965年9月5日 - 日本の俳優
どんな役もつまらないと思うことはないんです。
23年間やっていて、完璧にできたと思ったことがいまだにないので。
演じることは相変わらず、難しいから楽しいっていう感じですね。
仲村トオル
3
1965年9月5日 - 日本の俳優
卑しい芝居をするな
web R25 ロングインタビュー(r25.yahoo.co.jp)より
小堺一機へのアドバイス
小堺一機へのアドバイス
勝新太郎
1
1931年(昭和6年)11月29日 - 1997年(平成9年)6月21日 俳優
役者というアンダーシャツを着て、役者というセーターを着て、
役者というコートも着ている感覚なんです。
何枚脱いでも、まだ役者という服を着ていますよ、みたいなね。
もっと言えば、裸になっても役者という肌がある、そんな確信を持ちたいんです。
笑いを取るということ、さらには(ワザとやったことを)
見破られないことの難しさを自分のなかで学習したような気がします。
web R25 ロングインタビュー(r25.yahoo.co.jp)より
中学時代、仲間にボケを見破られたとき
中学時代、仲間にボケを見破られたとき
動物には動物の距離感があるように、人間同士がうまくやっていける距離感を、
僕ら団塊の世代はすし詰め教室で学びました。
作品を“100”まで持っていって、千秋楽を迎えたらまたゼロに戻す。
でもこのゼロは、単なるゼロじゃなく、やってきた“蓄えのあるゼロ”。
その繰り返しですね。毎回毎回、作品ごと
…いや、細かく言っちゃえば、ひとつのセリフごとに100まで持っていく。
“いいセリフが言えたな、理想通りの芝居ができたな”って、
夜家に帰って酒を飲みながら、達成感を味わって
“ようし、また明日”ってゼロに戻す。
寺脇康文
3
1962年2月25日生まれの俳優
お客さんに何を与えることができるかっていうと“生きるエネルギー”しかないんですよ。それができたとわかることが、一番のご褒美ですね。
もちろん、このミュージカルもそんな作品になっています。
もちろん、このミュージカルもそんな作品になっています。
僕らがやっていて最終的に行き着くのは
“苦しいこともすべて含めて、生きるっていいよね”っていうところなんですよね
寺脇康文
3
1962年2月25日生まれの俳優
『やんないよ』って言うのは簡単。でもそれは“ゼロ”ですよ。
やれば少なくともゼロではない。
マイナスになる可能性もあるけど、ゼロからは動き出すでしょ?
オーディションだってそうですよ。
寺脇康文
3
1962年2月25日生まれの俳優
俳優は歳をとると、味が出てきてよくなるとか言われますけど、僕は全然そうは思いませんね。むしろできなくなることのほうが多い。それで、
過去の経験という引き出しの中からできることを引っ張り出してきて並べるわけですよ。
これまでやってきたいろんなことに則ってやるんじゃなくて、僕は新鮮にやりたいんです。
鹿賀丈史
5
1950年10月12日生まれの俳優
(自殺願望について)中学から高校2年生ぐらいまでがひどくて、東京にひとりで出てきてから劇団で芝居を始めて
“おもしろいかもしれない、続けていくかもしれないと思った”
それは、実は“芝居を”というだけじゃなくて、
“生きることを”だったんじゃないかなあって思うんです。
web R25 ロングインタビュー(r25.yahoo.co.jp)より
で、続けていこうと考えた途端、「劇団を辞めたくなったんですね」
で、続けていこうと考えた途端、「劇団を辞めたくなったんですね」
鹿賀丈史
5
1950年10月12日生まれの俳優