病者に対してはただ病者を診るべし。貴賎貧富を顧みることなかれ。 『扶氏医戒之略』より 緒方洪庵 医者 (34) 医学 (23) 医道 (3) 緒方洪庵 5 生 7年7月14日 命日 6月10日江戸時代後期の武士(足守藩士)・医師・蘭学者。諱は惟章(これあき)または章(あきら)、字は公裁、号を洪庵の他に適々斎、華陰と称する。 大阪に適塾(大阪大学の前身)を開き、人材を育てた。天然痘治療に大きく貢献し、日本の近代医学の祖といわれる。-ウィキペディア