『国家』という言葉が政治家や官僚によって
使い放題のクレジットカードのように乱用される時代になった。
一千億円単位の税金を費やすイージス艦購入や、新国立競技場の建設などさえ、
国家の防衛、国家の祭典、といった言葉遣いを盾に取り、押し通してしまう。
これをナショナリズムとは必ずしも言えない。
むしろ、政治家や官僚による『国家』へのタカリ体質が
増長してしまったということだろう。
増えていく国庫負担の後始末をどうつけるのか、
彼らにはそのことに本気で責任を負うつもりがない。
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