余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた 「韓満所感」(満洲日日新聞) 夏目漱石 夏目漱石 38 1867年2月9日 - 1916年12月9日日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。 大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後...-ウィキペディア
「ロンドン留学中の体験が、近代的な個我を確立させる大きなきっかけであったことは常識に属する。漱石は留学中の断片に「我々はポットデの田舎者のアンポンタンの山家猿のチンチクリンの土気色ノ不思議ナ人間デアルカラ西洋人から馬鹿にされるは尤ダ」と記している。あるいは『文学論』の序文では、「余は英国紳士の間にあって狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり」といっている。漱石にとって西欧人は漱石の自己を相対視する恐るべき存在であった。しかし、アジアの人々は漱石が上から見下ろす存在にすぎなかった」 (『作家のアジア体験』芦谷信和・上田博・木村一信編 世界思想社 61頁) 彼は、自らが「見下ろされる」ことの本当の怖さを自覚していたのだろうか? 「だがね、ルパン君、君を笑ってやることがあるよ…。というのは、君が人殺しをしたことだ…。浦瀬の殺人だけはどうしてものがれることができまい。君は血を流したのだ」 「浦瀬は日本人だ」ルパンは傲然として言いはなった。 「おれはかつてモロッコ人を三人、一時に射ころしたことがある」 (江戸川乱歩『黄金仮面』) - 名言録 2015年09月24日 21時21分