0 コメント数 シェア よしあしの文字をもしらぬひとはみな、まことのこころなりけるを善悪の字しりがほは おほそらごとのかたちなり。 善悪の文字すら知らない人は、嘘のない誠の心であったのに、善悪の字を知った顔をしてモノを書くのは大虚言の体らくである。「三帖和讃」より 2 タグ
0 コメント数 シェア 唯円:念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん 親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。‥‥‥ 『歎異抄』より。 4 タグ
0 コメント数 シェア よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり 『歎異抄』より。 4 タグ
0 コメント数 シェア 人は自分の行為の真の理由も、結果も知りえないのだから、現実の場面での結果を保証する選択を見いだすことはない。 善悪の二つ惣じてもて存知せざるなり。そのゆゑは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、よきをしりたるにてもあめれ AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P17 3 タグ
0 コメント数 シェア 真実の信心は如来からたまわったものであるから、その信を得たとき如来によって浄土往生が定まった正定聚たらしめられる。それゆえ臨終や来迎を待って救われるのではなく、現生すなわち今ここに生きて存在するままに救われている 真実信心の行人は、接取不捨のゆへに正定聚のくらゐに住す。このゆへに臨終まつことなし、来迎たのむことなし AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P21 3 タグ
0 コメント数 シェア 85歳時の言葉 無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、怒り腹立ちそねみねたむ心多く、臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P25 3 タグ
0 コメント数 シェア 親鸞が法然の下に赴く契機となった夢告。 行者、宿報にてたとい女犯すとも、われ玉女の身となりて犯せられん。一生の間よく荘厳し、臨終に引導して極楽に生ぜしめん AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P32 3 タグ
0 コメント数 シェア 『歎異抄』 たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらう AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P41 4 タグ
1 コメント数 シェア 『歎異抄』 善人なおもて往生をとぐ。いはんや悪人をや AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P45 4 タグ 己のことを善人であるとする人間よりも、 己が悪人であると自覚する人間こそが往生(極楽往生)にふさわしい - 虚 2014-10-28 03:34:40 UTC
1 コメント数 シェア 『歎異抄』 さるべき業縁のもよほせば、いかなるふるまひもすべし AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P113 5 タグ 人間は、状況によっては、いかなる事でもしてしまうということ。「業縁」に注目してほしい。 - とら 2012-09-12 09:39:44 UTC
0 コメント数 シェア 親鸞:俺の言うことを何でも聞くと言うんなら、人を殺してみろ唯円:いや、自分にはそういう器量はない。人ひとりだに殺せない そうだろう、人間というのは契機がなければ一人の人だって殺せないのだ。しかし、契機があれば百人、千人、殺したくないと思っていても殺すこともあるんだよ AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P172 7 タグ